なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

あわや不発彈が爆発 一五五ミリ砲弾が発煙

[写真]▲自衛隊による不発弾処理
[写真]▲久高島で発見された50キロ爆弾
[写真]▲大型ヘリで回収処理
先の大戦で、はげしい戦いが、くりひろげられた沖縄では、戦後三八年余、たった今でも戦争の副産物としての不発弾が多く残っており、県民の生命と生活をおびやかし、戦後を処理するひとつの大きな課題となっています。
沖縄戦で使用された爆弾、鑑砲弾等は、約二〇万トンにも及ぶといわれており、そのうち五パーセントの一万トンが不発弾として残されたと推定されています。
終戦後も、ある時期までは、不発弾が海浜や原野、山林等の地表にゴロゴロしていたが、これらは戦後のスクラップブームで住民等によって、約三、〇〇○トンが処理され、また本土への復帰が実現した昭和四七年までに、アメリカ軍によって約二、五〇〇トンが処理されているので、復帰の時点までに約五、五〇〇トンが処理されたと推定されている。
復帰後は、自衛隊によって昭和五七年度までに六四三トンが処理されており、そのほか永久不明弾が約五〇〇トン見込まれ、現在、なお県内には三、四〇〇トン近くの不発弾が残っているといわれている。
ところで、不発弾は、土木工事等で、たまたま発見される「発見弾」と、住民から「土に埋まっている」とか「どこそこにすてられ埋まっている」とかの情報にもとづき、調査して、さぐりあて、堀りおこされる「埋没弾」の二つに区分されるが、どちらかといえば、工事等によって、たまたま発見されるケースが多く、「発見弾」が九〇パーセントを占めています。
このような状況下、去る八月四日、本村、久高島で中型の不発弾が発見されました。この不発弾は長さ六三センチ直径一五・五センチ、重さ五〇キロの米軍製一五五ミリりゅう弾用黄りん発煙弾で、効果は爆発時に、敵を焼殺し、都市、建物、航空機などを焼尽したりするもっとも危険な発煙弾といわれています。
また、弾薬として中に含まれる黄リンは常温で酸素と反応して、きびしい熱と煙を出して燃え、約四〇度で空気にふれてとけだし、直射日光にさらしたりすると、容器の亀裂、すきま等からにじみ出て、自然発火する等、もっとも危険な発煙弾であります。又、この黄りん弾は体にふれると、黄りんが体内に浸透し、大ヤケドを負うなど、その危険性は、はかり知れないほど大きいといわれています。
このようなことで、黄りん弾を発見したら「絶対に手でふれないこと」「発煙したら絶対に近よらずに、遠くからホースで水をかけ、発煙がおさまったら砂等をかぶせて空気にふれないようにすること」等の取扱上注意が必要であるといわれる。
以上のような特性のある発煙弾が、夏場に本島や本土からの観光客でにぎわう久高漁港南側砂浜で発見されたとあって、真夏の直射日光を受け、黄りんが発煙し、一時、避難さわぎもあり、観光客、区民を大きな不安の中におとし入れました。
通報を受けた内間徳次郎区長は、住民や観光客の身の安全と爆発の危険を感じ、与那原署と村役場へ電話でその処置を要望し、陸上自衛隊第一混成団・特別不発弾処理隊の協力により、八月七日午後二時に無事回収処理されました。
尚、不発弾に関する問い合わせは、村役場企画課消防・防災係(電話八-一三一一)。
又は、与那原警察署久手堅駐在所(電話八-一〇一四)まで。

ダウンロード https://docs.google.com/uc?export=download&id=1biQeguCow1KiNTVJzQbxNqq4qfHAqRIR
大分類 テキスト
資料コード 008553
内容コード G000001365-0010
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねんNo.33(1984年10月)
ページ 10
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1984/10/20
公開日 2026/09/24