おめでとうございます。
只今、たくましい子の記念碑の除幕式を行ないました様に、私達の知念小学校も百才の誕生日を迎えました。
ほんとうにおめでたいことであります。
もう一度大きな声で真心から「おめでとう」の言葉をみんなでとなえましょう。
それでは村長が音頭をとります。
「おめでとうございます」はい、有難うございました。
一口に百年と申しますが、その間にはいろいろなことがありました。
先ず、何回かの人類のみにくい争い、即ち戦争がありました。
次に世界的な大不景気がありました。
そしてわが国、日本もこの二つの出来ごとにまきこまれ国家も国民も大変苦しみました。
そのため沖繩県民の多くはかやぶきの家に住み、たたみはなくニクブクの敷物を敷き、いもをたべて、太平洋のおつゆをのみ、更に、つぎはぎだらけの着物をきて、はだしで暮した時代もありました。
しかし、その様なきびしい生活の中にあっても私達のお父さんやお母さん更に、おじいさんやおばあさん、そして地域社会及び日本の国家は学校の教育には大変力を入れて下さいました。
私が知っている身近かな実例を申し上げ皆さんと共に感謝の気持をあらわしたいと思います。
まずその一つは、今から六二年前に今の伊集砕石場の下の国道ぞいにあった学校が現在の敷地に移ったわけでありますがその時の校舎は材木の王様、チャーギ(イヌマキ)の五寸角の柱でつくられた沖縄一の学校でありました。
勿論、私たちもこのすばらしい校舎で勉強しました。しかしこの沖縄一のすばらしい校舎も去った戦争で全部焼けてなくなってしまいましたが、戦後総ベての物資がない苦しい生活の時分先ず、まっさきに学校がつくられました。
皆さんのおじいさんやおばあさん方はその当時の先生方と一緒になって山から、かやをかり集め、遠い山原から木を切って子供達の勉強する場所、教室をつくって下さいました。
その後時代が進み日本も経済大国になりましてからこの様に世界でもすばらしい学校を作って下さったわけであります。
更に又、私達の知念小学校が百周年を迎えたと言うことで皆さんのお父さんお母さん、そして現在の本校の先生方、更に本校の卒業生や村外、県外の方々、そして遠くはハワイ、ブラジル。ベルーの知念小学校卒業生の方々が皆さんのため、二百万円と言う大金を寄附して下さる様になっています。
もう大分集まっておると聞いております。
そしてその寄附金で先程除蔵しました記念碑や体育館入口のすばらしい日本庭園も出来たわけであります。
今後更に皆さんが勉強しやすい様にすばらしい環境づくりの作業が計画されています。
ほんとうに有難いことであります。
私達はこの様に色々な方々や地域社会、更に国家に対して感謝の気持を忘れてはなりません。
感謝の気持のない人間の心はサポテンみたいにとげとげした人で気の毒な人です。
あわれな人です。発展のない不幸な人です。
この様に私達の親や社会の人々や国家が子供達の学校教育に力を入れているのはなぜか、静かに考えてみましょう。
それは皆さんが立派な知念村の人となり、又立派な日本国民となり、そして平和で住みよい村や国家をつくってもらうためです。
どうぞ以上の様に親たちや大人の方々、地域社会、そして国家は皆さんに大きな期待をよせています。
その期待にこたえるべく、しつかり勉強して下さい。
知念小学校百才の誕生日に当たり、知念村六千村民を代表しお祝いの言葉と激励の言葉と致します。
[写真]▲仲里期成会長
[写真]▲百周年記念碑
[写真]▲日本式庭園
| ダウンロード | https://docs.google.com/uc?export=download&id=134vZQpxT_9l8jmr51Td3OIMYZamI6IHj |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008549 |
| 内容コード | G000001361-0002 |
| 資料群 | 旧知念村広報 |
| 資料グループ | 広報ちねんNo.29(1983年12月) |
| ページ | 3 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 広報 |
| 場所 | 知念 |
| 発行年月日 | 1983/12/10 |
| 公開日 | 2026/09/24 |