なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

『おもろさうし』と知念村

古い文献のたいへん少ない沖縄で最も古い歌謡集が『おもろさうし』であり、全二十二巻あって第一巻が一五三一年(嘉靖十年)に編集されている。薩摩の琉球入り(慶長の役)によって多くの古文書を焼失したので、『おもろさうし』は古琉球のわたしたち祖先の生活の様相を伝えてくれる貴重な歌謡集である。巻十九は「ちゑねんさしきはなくすくおもろ御さうし」(知念、佐敷、具志頭波名城のおもろ〉があり、知念もりくすく(知念城)を謡った歌が十三首も出てくる。他の巻を含めると知念問切に関する歌が六十首ある。巻二十二の公事おもろには「知念久高行幸之御時おもろ」も十四首ある。
「おもろ」は想いという意味があり各地方のノロたちによって伝承されてきた。歌詞と曲(節)とこぬり(手の動作)の三つによっておもろが成り立っている。歌詞は『おもろさうし』に記録されて残されたがその節の謡い方はほとんど消滅してしまった。しかし王府の儀禮に謡うおもろの十数曲は「おもろ主取」の安仁屋家に承け継がれた。安仁屋家は宜野湾間切大山村の豪農で最後の「おもろ主取」であった安仁屋真苅は一九一四年(大正三年)に逝去された。王府おもろは安仁屋真苅から山内盛彬氏によって受け継がれている。
山内盛彬先生は野村流の祖、野村安趙の高弟であって、廃藩当時の尚泰王の御近習役を勤めた山内盛嘉氏の孫である。沖縄師範学校を卒業して小学校の教師をしながら琉球古典音楽の研究と各地の琉球古謡の採譜に力められ、後東洋音楽で洋楽、日本大学で国文学を学び民族音楽研究のため北南米、アフリカ、インドネシア諸国をまわられた。大正の初め頃私の父、新垣孫一とも親交があり、久手堅のウスデークのクェーナを仲里のハーメー(ウスデークの音取)から採譜され、また久高島の外間ノロか最後の「お新下」(一八七四年)についても直接お聞きになっています。久手堅からもっていった資料はこの戦災で焼失されましたが、大里間切にあった『聞得大君加那志御新日記』は山内先生の保管されてあったものが残され、県立図書館に入っています。これによって「お新下」に使われた資材(仮屋)祭具、当日までの諸準備について詳細に知ることができます。「お新下り」の時うたわれた「道グェーナ」や斎場御嶽でうたわれた「ウチクェーナ」も採譜されています。
先日八月二十八日に福岡NHKによって山内盛彬先生の訪村が計画され貴重な「おもろ」や「クェーナ」を拝聴する機会を得たことは感激に余りあるものがありました。「アガリユーノクエーナ」は三百年前(一六七三年)尚貞王の時まで隔年二月に久高四月に知念へ国王の行幸のときのクェーナであります。また大正の頃山内先生の作曲による久高島の「黄金の瓜ざね」(フィフィリウンザニ)の劇の中の「久高島」の歌もうたっていただきました。戦後の「ヒヤミカチウキリ」や「屋嘉節」「白い煙黒い煙」も山内先生の作曲であります。九十四才の御老体を当村まで御来訪くださったことに対し心より感謝申し上げます。
国王行幸のあったときは「おもろ」「クエーナ」がうたわれ「お新下」のときも首里から久手堅の斎場御嶽まで「道クエーナ」があり、雨乞いのときも斎場御嶽入口のコーナー石の下で「雨乞いクエーナ」の数々の「クエーナ」がうたわれました。知念間切は沖縄で一番多く「おもろ」のうたわれた由緒ある土地であります。この「おもろ」の里、一聞得大君加那志様」(チフィジュンウドン」の領地であった知念間切にはどこかに古い歌がもっと伝承されているかも知りません。これによって地方おもろの宝庫知念村に「おもろ」探究の炬火がともされたこととおもいます。
(新垣源勇記)

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大分類 テキスト
資料コード 008548
内容コード G000001360-0011
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねんNo.28(1983年10月)
ページ 10
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1983/10/31
公開日 2026/09/24