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―第10回知念村婦人の主張大会― 村代表に大城利枝子さん

[写真]▲知念村婦人主張大会
昭和五十八年度知念村婦人の主張大会が六月十八日午後二時から村役場ホールで開かれました。
今年で十回目をむかえたこの大会には、八十名余の婦人が集まり、熱心に主張者に耳を傾けておりました。
大会は安座真支部の我如古キク子さんの司会で進められ、婦人連合会歌斉唱の後、婦人会長大城美枝子さんがあいさつし、「婦人が地域の問題に関心をもち、体験したことを意見発表することは婦人の地位向上につながるばかりでなく、婦人の視野を広めることにもなります。
さらに、明るく豊かな住みよい村づくりにもなりますので、きょうのこの大会を充実した主張大会にしてほしい」と開会のことばを述べました。
つづいて発表にうつり、知名支部と知念支部の代表二人により、「育児雑感と会活動」と、「役員活動を通して」と題して大城利枝子 と具志堅静江)さんが、それぞれのテーマで持ち時間を十分に活かし、力強く発表し、聴衆に訴えました。
発表のあと教育長のげきれいのことばがあり、そのなかで神谷教育長は「きょうの二人の発表はじつにすばらしい。年々表表会を重ねるごとに、内容、熊度、音声といい、すばらしい向上がみられる。
婦人の主張大会を契機に一人でも多くの婦人が現代社会に存在するさまざまな問題を積極的にとり上げ、堂々と発表してほしい。また、主張大会を通して村婦人会がますます発展することを希望します」とあいさつし、げきれいしました。
ひきつづき、講評及び助言が審査委員、屋我嗣幸村社会教育指導員より、内容、音声、態度について行なわれました。
つづいて表彰状贈呈が行なわれ、発表者二人に大城美枝子会長からそれぞれ賞状と記念品が贈られました。
また、婦人会全員によるレクリエーション「みんなの集い」も催され、和気あいあいと婦人の和と親睦をはかり、充実した大会となりました。
審査の結果は後日にもちこされ、その結果、知名支部の大城利枝子さんが東風平町、南部総合福祉センターで行なわれる南部地区大会に村代表として出場することになりました。
なお、大城利枝子さんの発表要旨は次のとおり。
「育児雑感と会活動」
知名支部代表知名支部代表 大城利枝子
[写真]▲大城利枝子さん
琉球発祥の地、五穀発祥の地、知念村は島尻で一番小さな村の知念村で生まれ育ち、村内に嫁ぐことが出来たことに誇りと自信を持って生きてまいりました。
無知な私は十九歳の時、両親の反対を押し切っての結婚です。当時、夫の家には祖父母をはじめ、姑、義兄、夫の五人家族でした。
同居生活をしていくのに若いせいもあって不安はありましたが、家族が私の事を自分の子同様に教えてもらったり、時には注意を受けたりして温かく見守ってくれたお蔭で全々知らない家族の中に、とけ込むことが出来ました。
今考えて見ると姑には色々迷惑をかけたことだろうと反省しております。
長男は、姑がほとんど育てたもので、私は手ほどきを受けるだけで何の心配もなく子供を育てていると思いました。
二男の生まれる前に分家をし、ほんとうの子育てがはじまりました。
育児観念の未熟な私は、心配なものでした。
生後八ヶ月になったばかりの息子に発熱が続き、注射をしてもらったばかりに「ショック」で意識不明になり、昏睡状態が幾日も幾日も続きました。
日ごろ神々、仏を信じない私でも自分の子供になると「神様仏さまどうか助けて下さい」とわらをもつかむ思いで折ったものです。
検査の結果、リューマチ熱である事を知らされ、不安の毎日でした。
病院側の指導で食事療法や、漢方薬治療で体質改善をして三ヶ年目に自宅静養にこぎつけることが出来ました。
三〇年と口で言うのはたやすいことですが、家族の苦労は並たいていのものではありませんでした。
そうこうするうちに、三番目の子ができ、看護疲れから疲労が続き、精神的にもまいってしまい、とうとう七ヶ月で早産してしまいました。
生死を危ぶまれるほどの超未熟児です。
医師から、命の保障は出来ないといわれ、再三の「ショック」で気が動転し「なぜ自分の子供だけ、どうして健康に恵まれないのだろう」と悩みました。
そんな時、夫に「しっかりしろ、苦しみの後、必ずよろこびがあるんだ」と励まされて気をとりなおしての病院通いです。
医師から見放されていた子も日一日と快復に向い、保育器の中で背中をくねらし、手を突っぱり、パタパタして一生懸命生きようと頑張っている我が子の姿を見て生命力の強さを肌で感じるのでした。
一ヶ月後には「もう大丈夫ですよ」との医師の声はまるで天使の声のようでいつまでも耳からはなれませんでした。
子供たちは成長していきましたが、なかなか病院とは縁が切れることなく心配ばかりです。
家の中にこもりがちな私をみかねて「婦人会に参加して見ませんか」と友人にさそわれて初めの会への参加です。
あの時の感動は今でも心の中に焼きついて離れません。
同世代や、先輩方が同じ気持ちになり、活発な意見も述べ合っているのです。
会員の目の輝き、生き生きしている姿すべてが私には新鮮でした。
子供達の世話が「おろそかになるのでは」と不安を持ちながら私もやってみようと意気ごみました。
今まで世間知らずで他人の事ばかり気にし、人をうらやましがったり、小さなことにもくよくよし、子供、子供の毎日で夫は子の次でした。
婦人会に参加するようになり今まで大ぜいの中で余興をやることさえ考えられない私が、レク大会に参加したり、パレーポール大会、講演会、料理講習会、婦人学級と積極的に会活動に参加するようになると、不思議と心のもやもやがとれ、子供たちとの接し方も違って「より笑うようになった、お母さん大好き」と子供達にもからかわれるようになりました。
心配した子供達も風邪一つひかず、すくすく育っている様子を見て、「乳母ひ傘」という過保護に子供は育ってはいけないと言うことわざを思い出しました。
今考えて見ると、いつも家の中にいてストレスがたまって夫婦げんかをして何でもない子供達に八つ当たりした日に限って、子供達も風邪にかかったりしたのが多かったような気がします。
家庭が平和になって初めて子供達もすこやかに育つのだという事を認識した次第です。
私が会活動に参加するようになると夫も負けてはいられないと趣味の菊作りに精を出すようになり、心のわだかまりがなくなると菊もまるで心を見とおすかのように、自分の思うままの作品が出来、今まで全沖縄菊花コンクールで入賞することも出来ました。
最近の社会情勢は子供たちにとって魔の手が忍び寄っています。
自分の家庭は母親である私達が守ってあげなければなりません。
自分の家庭がバラバラでは素直な子は育たないということを講演会で聞き、我が家では日曜日になると親子五人畑に連れて行き草むしりをさせ、土をふましています。
親の働く姿を見て子は育つといわれているようにこれもいいことではと、今でも実行しています。
勉強はあまり出来なくとも健康で他人に迷惑をかけない子に育ってくれたらといつも小さな願いをこめて見守っています。
病気で悩んでいたことが遠い昔のように思い出すのです。
現在私は一番しあわせ者です。
今後さらに子供の成長と共に自分も成長し、あらゆる会活動に積極的に挑戰して自分をみがいていきながら、盤石な家庭を築き上げていきたいと思います。
[写真]▲具志堅静江さん
[写真]▲表彰状の授与(大城さん)
[写真]▲表彰状の授与(具志堅さん)

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大分類 テキスト
資料コード 008547
内容コード G000001359-0006
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねんNo.27(1983年7月)
ページ 6-7
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1983/07/30
公開日 2026/09/24