なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

文化財だより 原石発見される

[写真]▲そうじ原から発見されたハル石
[図表]幅37㎝厚さ上9㎝・下8.7㎝長さ65㎝①記号:いとひら原ゑ②素材:岩石(琉球石灰岩)③地名:そうじ原④立地:字知念一一〇一-一番番地(田)
近頃、名護市をはじめ、中部の浦添市、西原町の地域、南部は糸満市、豊見城村、大里村に数多くの原石ハル石が発見されているが、昨年から今年にかけて知念村でも六個のハル石が発見されている。
原石は印部石(シルベイン)又は印部土手石ともいわれ、田畑の境界、間切や村の境界を標示する印部土手に立てられたもので、現在の土地測量の図根点に匹敵するものであり、原名が刻みこまれているので、地名を知るための重要な手がかりになる。
『近世地方経済史料』の知念間切の原勝負(ハルショウプ)に関する例規が、当時の地頭代大城耕一氏(具志堅、ウチンアタイ小)から報告されているが、その中に一、印部土手相破し候者、一つに付科金弐円宛。一、方切土手相破し候者、一つに付金弐円宛、」と原石の土手を崩した者が罰せられたようである。
田畑の坪数や境界等で混乱したとき、この原石は役立つのであるから、それで番所の耕作当(農事主任)が時々見廻り、年二回の惣廻(スーマーイ)にはこれを検べて報告した。
また土手破損のときは修繕させたようである。
いつ頃からこの原石が立てられるようになったか明らかでないが、元文検地(測量)が一七三七年~一七五〇年に行なわれているからその頃から始まり、地割のとき立てられたと考えられる。
竿入れ(測量)のとき原石が立てられたが明治三十二年~三十六年の土地整理では、この原石は使用されずかえって取除かれたのではないかとおもわれる。
知念村では志喜屋二個、知念二個、久高二個、久手堅一個(未確認)が二年間に六~七個発見されている。
志喜屋では親川佐次郎氏の庭の筑山(印の庭の筑山(印部土手つしき岩)にあり、「む、たあき原」と刻まれ、もう一つは太田富次郎氏の庭に保存されている。
この面には「称、まろこ原」と記され、高さ七十五m、厚さ十四のひし形で素材は「ニービノフニ』である。
志喜屋では原石のことを「ソーヌカラジ」(竿の頭髪)といっているのは何か深い意味がありそうである。
字知念の二個は古学校の敷地から出たもので「ゑ、いとひら原』とあり、吉富から台地へ登る坂が「イチュンザビラ」だからソージ原か、もとはイトヒラ原といっていたことになる。
もう一つは知念からンナト原へおりる畑の中から出たもので「ク、はたま?原」とあり、一字不明瞭で判読できない。
久高島で発見された二個はいずれも小形で高さ五四m、厚さ十二m位でウテキン原の土手にあり「ふさと原」と、はっきり読める。
もう一つは大浜原のアダン林の中にあり「リ、あこはみ原」と判読できる。
久手堅の新垣仙勇氏)の裏山から出た原石の裏山から出た原石らしき石も「口とうま原」とようやく判説できた。
以上のような原石が続々出てきているので古い地名の手がかりになり、もっと出てきてほしいものである。
今後原石らしきものがあったら村の文化財保護委員会まで知らせてください。※村文化財保護委員会(電話八-一三一内線三一)

ダウンロード https://docs.google.com/uc?export=download&id=1qy7slkASvyL3HtBJ_eK0jTzcDiBC0hMI
大分類 テキスト
資料コード 008544
内容コード G000001356-0015
資料群 旧知念村広報
資料グループ 広報ちねんNo.23(1982年12月)
ページ 10
年代区分 1980年代
キーワード 広報
場所 知念
発行年月日 1982/12/01
公開日 2026/09/24