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城間恒子(昭和3年生まれ 大里・当間)【キーワード】一般疎開

■家族で飯野へ疎開(そかい)
私の父のきょうだいが満州(まんしゅう)にいたため、父は家族を満州へ疎開させるつもりでいたらしい。だが実際には宮崎県の飯野(いいの)(現 えびの市)へ疎開した。疎開は役場からの指示があったのだと思う。
飯野には母とフミコ(次女)、私(三女)、ユキコ(四女)、ヨシエ(五女)、シズエ(六女)と康進(長男)の7人で行った。フミコと私は付き添いとしての参加だった。
長女のトシコと祖母、役場に勤めていた父の3人は沖縄に残ったが、家に爆弾が落ちてトシコは亡くなった。

■農家の手伝いをしながらの疎開生活
飯野では農家を借りて生活していた。母は木工所で働いて妹たちは学校に通い、私は炊事の仕事をしていた。
疎開先が田舎だったので、草取りなどの手伝いをするとお米などをもらうことができて助かった。農家の手伝いをするとありがたく思ってもらえたのが嬉しかった。母も働いていたので生活には困らなかった。

■畑仕事をがんばった戦後
戦後は畑仕事がたくさんあった。畑と家との往復の毎日で、楽しみはあまりなかった。
(知念昌徳と上地須賀子による聞き取り 2009)