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大里村史移民編編集事務局ニュース 移民史証言シリーズ(41) 南洋群島と沖縄県人移住者

一、南洋群島の概況と委任統治領
日本が国際連盟の委任をうけて統治した南洋群島は、赤道以北の西太平洋に散在する旧ドイツ領のミクロネシアの島嶼群」である。日本人は、この委任統治領を南洋群島あるいは「南洋」と通称し、マリアナ群島(サイパン、テニアン、ロタ)カロリン群島(パラオ、ヤップ、トラック、ポナペ)マーシャル群島(ヤルート、ビキニ、クサイエ)の三群島に大別してきた。その広がりは、東経一三○度から一七〇度、赤道から北緯二二度におよび、東西二七〇〇海里(約五〇〇○㎞)、南北一三〇〇海里(約二四〇〇㎞)の広大な海域を占めている。その間には、約六二四の島があり、礁島を加えると一四〇〇余となる。その総面積は二一四九㎢であるが、沖縄県の二二四九㎢に及ばない南洋群島の北東はるかにハワイ諸島があり、南には赤道を隔ててニューギニア島、ニユーブリテン島、東南にはギルバート諸島、エリス諸島があり、西方にはフィリピン群島、セレベス島があり、北には小笠原諸島の硫黄島につらなっている。一六世紀初めに、スペインはミクロネシア諸島を発見してマリアナ群島を領有し南米を経由して本国とフィリピンを結ぶ中継基地としてきた。一七世紀にはカロリン、マーシャルの両群島をも併合した。これに対しドイツは北東ニューギニアビスマーク諸島、ソロモン群島、ナウル島などを占領し一九世紀後半にはマーシャル群島をも占領した。このため、スペインとドイツとの間に烈しい紛争が起こったが、イギリスの介入もあって、結局はマーシャル群島はドイツ領となった。一八九八年、スペインはアメリカ・スペイン戦争に敗れた結果、従来の植民地フィリピンとグアム島をアメリカに割譲した。グアム島はマリアナ群島中最大の島であり、スペイン領太平洋諸島の中心であった。グアム島の面積は五六八㎢で淡路島とほぼ同じ広さである。米国領となったグアム島は、大平洋戦争後の今日でも、アメリカのアジア・大平洋戦略の要衡となっている。アメリカ・スペイン戦争に敗退したスペインは、経済的に疲幣し、大平洋に領土を維持する実力を失った。このため、グアム島を除くマリアナ群島とカロリン群島をドイツに売却し(一八九九年)、スペインは太平洋の舞台から姿を消した。これに代わってアメリカがグアム島を領有し、ドイツはグアムを除くマリアナ群島、カロリン群島、マーンャル群島を支配することになった。アメリカはこれによって、ハワイ、グアム、フィリピンと北太平洋を東から西に横切って結ぶ拠点」を確保、ドイツは北東ニューギニアからマーシャル、マリアナ群島を経て、中国膠州湾を結ぶ「西太平洋を南北に縦断する重要な地域」を確保することとなった。一九一四年八月、ヨーロッパに第一次世界大戦が勃発すると、日本は日英同盟に従って参戦、連合国側に立ってドイツと戦った。日本軍は、東洋にあるドイツ領の攻撃を開始し、膠州湾を攻めると同時に、十月には海軍南遣支隊がドイツ領の南洋群島を占領した。南洋群島を占領した日本海軍は、トラック諸島に司合部を置いて軍政をしき、同年十二月には「南洋群島防備隊条例」を発布した。これによって、南洋群島をサイパン、パラオ、トラック、ポナペ、ヤルートの五民政区に区分し各民政区に守備隊を配置し、各守備隊長を軍政庁長として民政事務を兼掌させた。一九一八年には南洋群島防備隊司令官の下に民政部を設け、軍政庁は、民政署と改称され、軍人に代わって文官が民政をおこなうこととなった。第一次大戦が終わり一九九年六月、ヴェルサイユ講和条約が締結され、翌年一月には国際連盟が創立された。赤道以北の旧ドイツ領南洋群島は、国際連盟規約第二十二条によって、C式委任統治地と定められた。C式委任統治というのは、土地が狭く人口が少なく、かつ住民の政治的能力のない地域に適用されるもので、住民の利益のために一定の保障を与えることを要するという条件のほか、受任国領土の構成部分として、その国法の下に施政を行うべきものと定められていた(外務省記録「帝国の南洋委任統治一件」)九二〇年十二月、国際連盟理事会は「南洋群島に対する日本帝国の委任統治条項」を調印して、日本が南洋群島委任統治の正式の受任国となった。
大里村移民史編集委員
安仁屋政昭

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大分類 テキスト
資料コード 008463
内容コード G000001096-0005
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第264号
ページ 5
年代区分 2000年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 2002/08/01
公開日