なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

六里村史移民編編集事務ニュース 移民史証言シリーズ40

「移民村字平良」主にハワイとアルゼンチン
大里村字大里(平良)は二〇〇一年(平成十三)現在人口三六〇人で推移している小さな村ですが、この村の特徴は、一九〇五年(明治三十八)ハワイ移民として外間良紀・良男兄弟をはじめとして村から十一人が一挙にまとまって移民をしています。同年大里村からハワイへ移民した人数は、一○人いましたが、その三分の一強が平良出身の人たちでありました。翌一九〇六年(明治三十九)に四人、四十年には八人がハワイへ渡った経緯があります。一九一二年(明治四十五)までに三四人のハワイ移民を送出している。このように小さな村からなぜ、ハワイ移民が多く出たか、その原因の一つに農家の所有地面積が狭く、丘陵地で農地としては不適当であり、耕作地としては人力による開墾が困難な地形と、そこに住む人たちの視野の広さと、学識者やインテリが多かったことなども要因の一つとして考えられる。また、明治四十年代に入って、ハワイ単身移民が郷里に残した妻の呼寄せが可能となったため、平良村からのハワイ移民が明治、大正、昭和を含めて、戦前期六〇人に達した。一方、同字からアルゼンチン国移民をみた場合、戦前六五人で、ハワイ及びアルゼンチン国への移民合計数は一二五人に達した。大里村内では字平良を称して一移民村」と呼ゆえんである。また、戦前(一九四一年=昭和十六)までに移民した字平良の人たちは、フィリピン二九人、ブラジル二一人、ニューカレドニア三人、ペルー二人、その他一人でハワイ、アルゼンチンを含めて合計一八三人が移民している。戦前、村の人口の半数以上が移民をしたとされているまた、戦後同字からの出移民を調べてみると、一九四九年(昭和二十四)外間七太郎・キヨ夫妻ほか六人が近親者呼寄せによって、那覇空港より飛行機でアルゼンチンへ渡っている。敗戦直後の移民としては珍しい移民の渡航方法であった。翌一九五〇年(昭和二十五)には、勝連半島のホワイトビーチからオランダ船ルイス号で又吉良吉が父・良善の呼寄せで渡航している。戦後間もないころのため、移民行政がまだ整備されない頃ゆえ、沖縄県からアルゼンチン移民の氏名も不確認の状況であった。それに字平良村では、戦前移民でアルゼンチン国で妻を亡くした又吉良現氏が、子供たち五人を父母に養育を託して後に再びアルゼンチンへ帰った。このようなケース字平良国別移民数表がほかに六人いた。託された子供たちは、第二次大戦中宮崎へ疎開し、戦禍を逃れた。終戦後アルゼンチン帰国二世として帰った。その数、十数人に達した。このように字平良村からアルゼンチン帰国二世を含め戦後アルゼンチン国への出移民数は六五人となった。戦前、戦後一九一八年から一九八三年(大正七~昭和五十八)を含め一二二人がアルゼンチン国へ移民した。字平良村出身の子や孫の在アルゼンチン人口は六八○人以上を数え、現在では母字平良村の人口の倍加に匹敵する血縁者数がアルゼンチンで繁栄している
移民史編集事務局
我部政照

ダウンロード https://drive.google.com/file/d/1Fq3zxvacPkHUQw8SXokna20NtMxNJTez/view?usp=drive_link
大分類 テキスト
資料コード 008463
内容コード G000001094-0003
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第262号
ページ 5
年代区分 2000年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 2002/06/01
公開日