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大里村史移民編 編集事務局ニュース 移民史証言シリーズ(39) 村内で移民の多い字稲嶺

字稲嶺は行事と移民の多い部落である。旧六月十五日綱引き、旧七月十五日に部落全体の綱引き、八月十五日には獅子舞がある。一九八〇年(昭和五十五)までは村芝居をしていた字である。また、地球の反対側フラジルには同字出身子孫が七〇〇人余も住んでいる。アルゼンチン、ハワイ、ぺルーなど合わせると同区民の倍に当たる区民が海外で繁盛している。当区では移民に出る人の所有地を部落民が買いうけ、田畑も平均して所有している。この字は貧富の差がなく、みんなが余裕のある快適な生活を営んでいる。また部落の八〇%が新垣姓である。そのほか知念、大城の一部の姓がある。字稲嶺の特徴として、明治、大正、昭和の初期まで、いわゆる戦前期までは結婚はほとんど親戚や字の人同士で行なわれていたとされています。従って海外移民においても、呼び寄せ移民が多い。それにブラジルでも、サンパウロとカンポグランデ地域に稲嶺出身者が多く在住しているとされています。海外での生活においても結束力が強く協同心が他の字よりも目立って強い(地域ごとに稲嶺共進会、稲嶺郷友会などがある)。その証しとして同字出身者は引揚者が少ない点が目立っている。またブラジルやアルゼンチンからの故里訪問者に対しては字民あげての歓迎会を公民館で盛大に開催し、あるいは厚生年金休暇センターを借りて催される。また、世界のウチナーンチユ大会ごとに、多くの移民者が郷里稲嶺訪問を兼ねて訪れるのは大里村内で最も多い。サンパウロ在住の方は商業と牧場経営や子孫の教育に投資し、子弟の職業も公務員や医者、弁護士、大学教授などが多い。字同士の結束力の強い代表的な大里村民である。また移民国においても一国集中型が目立っている。同字よりブラジル移民は戦前、一九一二年(明治四十五)までに二人で一九二六年(大正十五)まで三九人、一九四一年(昭和十六)までに一一九人となっている。戦前移民は総計で一七九人となっている。それに比べて戦後移民は一九四九年(昭和二十四)以降、一六四人がブラジルへ移民し、そのほとんどが呼び寄せまたは近親者をたよっての移民である。戦後移民は戦前と比較して同人数ほどの字民がブラジルへ渡っている。現在ブラジルにおいても二世三世時代になっていて、郷里字稲嶺の住民数(八六〇人平成十三年八月調べ)以上の同胞がブラジルで繁栄しているといわれている
移民史編集事務局
我部政照

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大分類 テキスト
資料コード 008463
内容コード G000001093-0006
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第261号
ページ 8
年代区分 2000年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 2002/05/02
公開日