大城栄(屋号・西満徳)
カナダ・アルバータ州・カルガリー市在住
二〇〇一年(平成十三)十一月調査
戦後初のカナダ移民
私は、一九五二年(昭和一十七)、父・盛仁、母・シゲ子の二男として生まれました。大里南小学校、大里中学校を卒業後一九七一年(昭和四十六)南部農林高等学校在学三年の時にカナダ農業研修がありました。海外教育担当教諭の勧めもあって応募することにしました。しかしいざ行くとなると両親の反対がありましたが、担当教師が両親を説得してくれました。研修の条件は二年間でした。終了後は永住権が取得できそれから三年後は市民権が与えられるということになり、自由に職業につくことができる受入制度になっていました。私たち沖縄県からの研修生は、十二月から三カ月間東京での事前研修をうけるためいくことになりました。JICA(国際協力事業団)での主な研修は、カナダ国での生活習慣や英語の勉強でした。事前研修が終了すると、そのままカナダへ渡ることになり、そのため高等学校の卒業式にももちろん出席することができませんでした。カナダでの私を受入れてくれる農園主はアルバータ州の日系人で北川という方でした。主要栽培作物はジヤガイモでした。この農園では一九六九年(昭和四十四)から研修生を受け入れていて、私を含め七人の研修生がいました。その中で沖縄県人は私一人でした。一九七一年(昭和四十六)から一九七三年(昭和四十八)二年間の農場研修が終了し、ボックスホールから一五〇キロ離れたカルガリーにでました。初めは、自動車部品会社に勤めました勤務中、夜間の英語学校へ一年間通いました。その後、技術学校で料理を専攻しゴルフカントリークラブの調理部に勤めました一年後退社して日本人経営のスキヤキ店で一年半勤めました。一九七七年(昭和五十二)二十五歳で独身のとき、カルガリーショッピングセンターで貸店舗を借りてレストランを開店したが、見事に失敗。一年で閉店し、他人のジャパニーズレストランステーキハウスマネージャーとして四年間勤めました。
食堂「タ月」を開店
一九八九年(平成一)十一月十五日、食堂「夕月」を開店しました。そのときは四歳年下の桑原シャロー春美と結婚していて、二人の娘も生まれていました。私が二十九歳のときです。四年間は店舗借り賃五〇○〇ドルと高く、その費用負担もあって苦しかった。家賃についてオーナーと相談して三五〇〇ドルに下げてもらった。その後、カルガリー市は人口も一五〇万人と増加したことと、アルバータ州は石油とガスの産出地となり都市化が急速に進んだ地城でした。私の店の周囲が中心街となって発展したことが大きな要因となっています。店舗の広さは一五〇人が収容できる中位の店です。一日で最も忙しいときは昼食時で、猫の手も借りたいときです。それでも主に家族で店を経営していて、長女ジェミニカ大城(十八歳)二女ステファニースキ大城(十五歳)の二人が手伝えるようになり、それに長女の友人たちがアルバイトに来てくれますので、大変助けられています。三女のキンブリーマリア大城(五歳)はまだ小さいので、学校へ通っています。九八八年(昭和六十三)に父母をカナダ観光に招きました。また、沖縄県が催している「世界のウチナーンチュ大会」に参加のため訪問。二〇〇一年(平成十三)には兄・悟夫婦をカナダに招きました。また第三回世界のウチナーンチュ大会参加をかねて、第六回大里まつりが同時に催され、世界各国から移民の方々が里帰りをしていました。大変有意義な訪問となりました。
移民史編集事務局
我部政照
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1NUHQrofkNJj6u21Xv2t4kXZz8E_Rtmr0/view?usp=drive_link |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008463 |
| 内容コード | G000001091-0007 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第259号 |
| ページ | 5 |
| 年代区分 | 2000年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 2002/03/01 |
| 公開日 | ー |