なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

文化財シリーズ 42 大里城の雲板

雲板とは、雲形に鋳造された時を告げる板状の偏平な鼓のようなものをいい、禅宗の寺院で使われたものをいう。では、なぜ大里城の雲板といわれているのかというと、その雲板の表面に三行の文字が刻まれているためである。中央部に「琉球国王大世主庚寅慶生」、右側に「大里城」、左側に「天順二年八月八日」と刻まれており、右側の陰刻文である「大里城」から大里城の雲板といわれている。ちなみに、「琉球国王大世主」とは第一尚氏、六代目尚泰久王(在位一四五六~六〇年)のことであり、鋳造された「天順二年(一四五八)」といえば、護佐丸阿麻和利の乱が起こった年でもあ大里城の雲板は、直径50㎝であり、略惰円形を呈していますが、両側上部付近から内側に欠けて、孤状の切れ込みがみられる他、上部縁を波打たせ、雲を表している。また、外縁手前を陰刻線が巡っており、外縁を浮き出させるような工夫がなされている。さらに、上下に穴が空けられており、その周縁が花紋のように刻まれている。上部の穴は吊り下げる際に紐を通す穴として利用されたものであり下部の穴は音の反響のために空けられたものと考えられますが、現在では下部の穴の花紋上側が何らかの理由により欠けてしまっている。現在、大里城の雲板は、奈良国立博物館が徳島県徳島市の禅宗寺院浄智寺から寄託され、所蔵している。しかし、どのような経緯で大里城の雲板が浄智寺に渡ったのかは、今だ不明のままである。また、雲板がどうして大里城に吊り下げられたのかも不明であるが、父親である尚巴志王が三山攻略の第一歩を標すとともに、統一までの間居城としたことやその後も離宮として使用した由緒ある大里城を選んでかかげたものと思われる。
(文化財担当・山里)

ダウンロード https://drive.google.com/file/d/1NUHQrofkNJj6u21Xv2t4kXZz8E_Rtmr0/view?usp=drive_link
大分類 テキスト
資料コード 008463
内容コード G000001091-0006
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第259号
ページ 4
年代区分 2000年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 2002/03/01
公開日