大城清幸(屋号・新東大前小(みいあがりうふめぇぐわ))
一九九八年七月調査
〔父、サイパンへ移民〕
私の父は、大正十年に兄と母を沖縄に残して単身で南洋群島のサイパン島に移民をしました母は、昭和二年に父が渡航費を送金して、サイパン島に呼び寄せて一緒に暮らすようになりました。兄が四歳の時です。私は、母がサイパンに来てから二年後の一九二九年(昭和四)に、サイパン島下ドンニーで生まれました。父は移民当初、南洋興発㈱の農業労務者として、サトウキビの収穫作業を中心に従事していました。当初、サイパンには港がなくイカダを造って製糖用機械を乗せ、浜まで運びました。しばらくして父は同社を辞め、市庁の土地を借り、スイカ栽培をしていました。そしてガラパン町に出荷していました。私が小学校へ通うため、ガラパン町に住むようになりました。サイパン尋常高等小学校へ通いました。ガラパン町に定着後、父は八百屋を開店し、商業に転職しました。母は行商で、豆腐・鰹節・昆布・コンニャクなどを買い山からはバナナ・マンゴ・卵などを買って、父の八百屋で売っていました。母は働き者で力持ちでした若い頃沖縄で、当時の黒砂糖タル一丁(約一三〇斤)七八㎏を、頭に乗せて歩くほどの男勝りの女性でした。高等科一年の時に、校名がガラパン第一国民学校に変わりました。昭和十八年四月に高等二年を卒業して昭和十九年三月に、南洋興発の水産修理工場の旋盤工員として、採用されました見習工であったため、月給は一〇円でした。ちなみに大人は五〇円でした。三カ月の見習工から本採用になったのは昭和十九年六月からで、当時十六歳でした。県人会や村人会も結成され年一回は相撲大会や野球大会なども盛んでした。大里村からの移民も多く、目取真七家族、高宮城三家族、稲嶺二家族と、各字から来ていました。昼間の仕事が終わって、夕方の五時過ぎ頃から青年団に加入させられ飛行場建設(石や材料運び)工事のため、ニギリメシ一個だけで働かされました。しかしすぐ空襲に遭って、山の中に避難しました。壕は兵隊が入っているので、僕達は自然の岩の下や木の下などに隠れていました。山の中を駆け廻りながら簡単な防空壕を掘って空襲から身を守り、大きな傷は受けませんでした。戦前の皇民化教育で、日本人として捕虜になることは大きな恥であり、また、米軍は鬼畜生だから恐ろしい仕打ちをされると宣伝されていたので、母は捕虜になることを悲しんで、バンザイクリフの断崖から何人かの人達と一緒に海に飛び込み自殺を計りました。小さい頃から少々の泳ぎが出来ていたので、沈まず浮いていました。母は「セイコーヨーイ」と名を呼び、僕を見付けて「アギ島の人間は海では死ねないよー」と叫び続けていました。その状況を見た僕は、海に飛び込んで母親を助けました。三カ月後の昭和十九年九月に捕虜となり、収容所に収容されました。しかし、母は昭和二十年三月、五十三歳の時に収容所で脚気(ビタミン不足による病気)で亡くなりました。父も同じく、収容所で配給されたカツオ魚の食あたりで亡くなりました。五十七歳でした。私は収容所で両親を失いましたが、くじける事なく収容所の共同炊事当番をこなしました。最初は配給制度でした。農場班と炊事班の二グループに分けられました。その後一~一〇までが一般団体で、十一団体が看護婦やメイドとして、班が配置されました。農業班は、イモや野菜などを作って各班に農産物を配る役目で、私は一般作業班(軍作業)の四十六兵器部隊の将校炊事班長として二十一人のボーイと働きました。総責任者は菊地という方でした。私十六歳だったため、日当が二十五セント。しかし一般の大人は三十五セントでした。その時の忘れられない思い出があります。担当官だった米軍将校と口論となり、大ゲンカしたことがあります。その将校に押し倒され手を骨折し、手術をするほどの大けがをしました。今もその傷あとが残っています。その時の気迫と勇気をかわれて、ボーイ班長に抜擢されました。今でも人生の大きな支えになっており、正義感という貴重な宝物を身につけました戦争中の記憶の中で強く印象に残っているのは、バンザイクリフ(断崖)から海へ飛び込んで行く人々めがけて、米兵が発砲した弾により数多くの人々が死亡し、海水の色が赤茶色に変色するほど海が血に染まっていたことです。また、スパイ疑惑の件もあります。避難していた近くで道路工事用につかう、石油ランプを置いて目印にしたら、その後すぐに艦砲射撃による集中攻撃されたことがありますそれは、米軍への通報者(スパイ)がいるとの噂でした。
移民史編集専門委員
瑞慶覧 長方
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1gt1pRzftLiLfNLvZ0cijwKqSFSH7PlZ3/view?usp=drive_link |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008463 |
| 内容コード | G000001087-0006 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第255号 |
| ページ | 5 |
| 年代区分 | 2000年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 2001/10/01 |
| 公開日 | ー |