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大里村史移民編 編集事務局二ュース 移民史証言 シリーズ(33)

城間チヨ
現地の医者に助けられる

呼び寄せでフィリピンへ
私は、父・照屋徳吉、母・カメの長女として生まれました。きょうだいは六人で、男は盛喜、徳泰、女は私、時、富、澄でした。父は大正十三年にフィリピンへ単身渡航し、母が早めに亡くなったため私が十三歳の時(昭和二)に帰郷しました。父は再婚して、再度フィリピンへ渡りました。私は十九歳の時(昭和八)、同字出身の城間秀繁と結婚しました。主人は九三六年(昭和十一)にフィリピンへ渡りました。その三年後(昭和十四)、主人の呼寄せで子供(長女・絹枝、二女・和子)と三人で渡航しました。那覇から波の上丸で鹿児島へ渡り、長崎からフィリピン行きの船に乗り、十六日間かけてミンダナオ島ダバオのサンターナ(港)に着きました。フィリピンに渡ってから長男・秀夫、三女・直美、一男・章が生まれました。主人は現地で麻栽培をしていました

収容所での出来事
最初はワガン耕地で麻栽培をしていましたが、戦争前にそこを売り、トマヨンの麻山を買って移りました。ワガン耕地では、四km離れたカリナンまで行かないと町はありませんでした。カリナンには日本人学校があり、子供たちはその学校に通っていました。一九四一年(昭和十六)十二月太平洋戦争が始まり、米軍のトラックがやってきて着の身着のままの状態で車に乗せられました。その時は長男が生まれて二週間でしたので、赤ちゃんのミルクは持たせて欲しいと頼み込んだのですが、それも聞き入れてもらえませんでした。カリナンの学校に収容されました。そこでの生活は何日間だったかは覚えていませんが、食事は手のひらにのるだけのご飯が配られました。わずかでしたのでご飯は子供たちにやり、私は水だけでしのぎました。そのため乳も出ませんでした。普段からお世話になっていた現地のララ先生が、カリナンの収容所でミルクがないと赤ちゃんが死んでしまうからと言って、自分の家から水ミルクを一〇個持ってきてくれました。そのおかげで長男は命拾いしたようなものです。収容所内では、こんな小さい子がよくも生きていると言って、「バニアン」(風呂)を使うときには集まってきました。収容所内は、女、子供は一緒で男たちは別々でした。主人と再会したときには痩せて、栄養失調の夫はトラックから降りて立つこともできない状態でした。収容されて一週間ほどして、日本軍が上陸してきました。日本丘は、何もしない島民を殺していきました。お世話になったララ先生も日本兵にカリナンから連れ出され、麻山で殺されました。どうして日本兵はあんなよい先生を殺すのかと思いました。気の毒でした。日本の兵隊がやってきたときに沢山の島民が殺されました。

避難
日本軍が上陸してきた後、カリナンの収容所からもとの麻山、ウワガン耕地に戻りました。しばらくは静かな生活でした。一九四八年(昭和十八)に、トマヨンと言うところに移りました。妹の新里富一家も一緒でし米軍の反撃が始まり戦争が激しくなってきたので、一九四四年(昭和十九)トマヨンからカルメンに避難しました。トマヨンからは一五km離れていましたが、そこに行くには二〇ほどの谷を超えなければなりませんでした。トマヨンで採ってきた芋などをカゴに入れて運ぶのですが、山の急斜面が多く、谷に下りる時には尻から下りる状態でした。タモガンからやって来た友軍の兵隊たちに途中で食糧を全部奪われることがありました。トマヨンは、芋類がよく実るところでした。主人は軍属として施設隊に属していました。麻山に施設を作ってありましたので、隊員からの食糧の差し入れもあり、食糧には困りませんでした。主人とは避難しているときも一緒でした。私の父・徳吉は、カルメンの山中で悪性のマラリアにかかり亡くなりました。見ず知らずの人に病気を診て欲しいと頼まれると断われず、自分もマラリアに感染し発病して亡くなりまし

敗戦と引揚げ
敗戦になり、カルメンから下山。収容所に集められました。収容所内では男と女、子供は別々でした。フィリピンから引揚げる時私が病気になり、高熱で頭髪が抜け乗船ができなくなり、主人と長男の三人が残り最後の引揚船で引きトげることになりました。日射病ではなかったかと言われました。「子供たちは妹の富に預けました。子供たちや富は鹿児島県に上陸していました。私たち三人は広島に上陸しました。」子供たちが鹿児島にいると聞き探しに行きましたが、大分県に移ったと言われ、後を追って大分まで行き子供たちと会いました。久しぶりに会った二男は、私の変わった姿を見て母さんではないと言って抱かれませんでした。一九四六年(昭和一十一)に引揚船で久場崎に上陸し、インヌミヤードゥイに移りました。家族は一人も欠けることなく全員引揚げて来ました。戦後も子供が生まれ、九人の子供に恵まれました。フィリピンでの財産は全部失いました。
村移民史編集委員
沖縄大学教授金城功

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大分類 テキスト
資料コード 008463
内容コード G000001082-0004
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第250号
ページ 5
年代区分 2000年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 2001/05/01
公開日