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大里村史移民編 編集事務局ニュース 移民史証言シリーズ(29) 戦後のハワイ一世―その二― 城間正明(KEITH GUSHIKUMA)(屋号・玉那覇小)

私は父・取徳、母・キヨの三男として出生いたしました。
兄・栄徳は村役場に勤務しています。
私がハワイへ行くことになりましたのは、父の従兄に当たる城間金剛、シズエ夫婦の間に実子がいないため、私を養子として迎え、城間家の長男として入籍が約束されていました。私を養子に迎える事については、おじは再三わが家を訪れ両親と打ち合わせが勧められていました。
養父は長い間ハワイ州政府に勤務し五五歳でリタイヤしまして、現在年金生活をしています。
私は大里南小学校を卒業いたしまして大里中学校一年終了直前の三月に、十三歳でハワイへ渡ることになりました。
ハワイに渡って十八歳になるまで五年間養父が身元引受人として、その間は学生ビザで滞在が許可されていました。

ハワイの教育
ハワイへ渡って一年半はヌアンと言うところに南本願寺系列の英語を教える日本人向けの学校に通いました。その後カナナコア中学校で一年間学び、残りの一年間は私立学校で学び、計三年間の中学校卒業資格を得たことになりました。
高等学校はマッキンレーシ一アハイスクールに三年間通いました。大学はマノワハワイ大学に入学、商業を専攻(カーレジビジネスアドミネーション)しました。大学は四年間の修業で卒業することが出来ますがアルバイトをしながら通いましたので、卒業まで六年間かかりました。アメリカでは大学卒業年限は、十年間の猶予期間があります。その期間内に卒業可能単位を取得しておれば卒業が出来るシステムになっています。
大学在学中、日本人観光客相手の免税店でのアルバイトや日本系列の白木屋での店員など卒業間際まで働きました。
その間六年も続きました。
九八七年、JTBに入社(屋号・玉那覇小)以来現在まで一六年間サブメジャとして勤務しています。
去る二〇〇〇年始めのコンピュータY2K問題で世界中が混乱した時は、三日三晩徹夜で会社に泊まった。その時は、大変心配しました。

結婚
一九九七年十月二五日滋賀県出身の野尾有紀さんと縁あ
って結婚。昨年暮れ長男・ジエームスが誕生しました。
ここハワイでは、法律に関する事については、弁護士を頼んで手続きなどをします。
例えば国籍取得の件もその一例です。私は十三歳から十八歳までは学生ビザで過ごした。
また、永住権を取得するにも五年かかりました。それから市民権を得て、アメリカ国籍を取得するまで実に二十年余もかかりました。国籍と言えば、私の息子は母親が日本国籍であるため日本籍になります。しかし、将来この子が十八歳になると自分で国籍を選択する権利が与えられ、国籍を自分で決めなければなりません。

アメリカ社会
ハワイにも日本人が沢山住んでいますがここはアメリカであり、社会的にはインディビジオ(個性的)で、自由に意見や行動をしていく社会である。ここに住むウチナンチユは、アイデンティティは持っているが、アメリカ人であるのでその点私の知っている大里はグリーンタウンがない時の郷里でその変貌には驚きました。しかも住んでいる人達は見知らぬ人達が多くなりました。でも里帰りをする度に、小中学校の同級生達が歓迎してくれて、沖縄人の温かい心がまだ残っている事を実感しました。
将来、自分の子供には両国日米)の教育を受けさせたいと思っています。ハワイの日本語学校で学ばせるよりは、日本の親元に二~三カ月預ける事により早く日本語をマスターするものと考えています。
既に息子の教育の事を気遣っているケイツグシクマである。
このレポートは、去る一月十一日ハワイ沖縄移民一〇〇周年記念式典に参加した際に、大里村出身移民聞取を行ったものです。城間ケイツさんの案内で無事日程を終えることが出来ました。紙上にて感謝とお礼を申し上げます。
大里村移民史編集事務局
我部政照

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大分類 テキスト
資料コード 008463
内容コード G000001077-0004
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第245号
ページ 5
年代区分 2000年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 2000/11/01
公開日