ムーチェのウタキは、県道八六号線を挟み、大城のバスターミナルの向かいの小高い高まりに位置しています。その高まりは、一m程の高さを持ち、長径は七m程、短径は五m程の縦長の崩れた楕円の形をしています。その高まりの中央やや右寄りに祠が置かれ、周辺を琉球松で囲んでいましたが、現在は伐採され、一本を残すのみとなっており、ブーゲンビリアやモクマオウ等が植栽されています。祠は、コンクリート製であり、現在右側に傾いています。高さは一m程で、幅七〇cm、奥行七〇cm、平面形は正方形であり、正面形は長方形をしています。上部には寄せ棟型の屋根が覆いかぶさっており、その頂上部に宝珠を乗せていたと思われますが、現在はなくなっており、痕跡を残すのみとなっています。正面を除く一一方は閉じられており、内部には琉球石灰岩製の香炉が置かれています。祠の前面は、人頭大の琉球石灰岩で囲まれており、横長のやや崩れた楕円形の平場となっています。年中行事の際に行われる拝みは、この平場で行われています。このムーチェのウタキには次のような伝承が残っています。「大城区にまだ稲作が始まっていなかった頃、ある湿地に鶴が一羽飛んで来て稲の穂を落としていきました。その穂が芽吹き、やがて豊かに実った稲穂を収穫しました。これが、大城区で初めての稲の収穫となりました。そこで区民は、この湿地を田圃へと開墾し、そこから稲の苗を貰い受け、自分達も田圃を作り、苗を植えるようになりました。これが、大城区での稲作の始まりであり、この最初の田圃を『嶺井のナーシロダー』と呼んでいました。そうして、稲が与えられたことを感謝して、この『嶺井のナーシロダー』の傍らにウタキを作りました。このウタキをムーチェのウタキと呼ぶようになりました。というような、稲作の起源に関わる伝承が残っています。現在では、全くなくなってしまった大城区の稲作ですが、農業の恵みを与えたウタキとして、ムーチェのウタキは今でも豊作の願いを込めて拝みが行われていますまた、稲作の起源に関わる伝承は、玉城村の受水走水や知念村の知念大川等にもみられます。
(文化財担当・山里)
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1xV8ZZ2_BFBCzqup-9US26uKGTlcqHy8g/view?usp=drive_link |
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008463 |
| 内容コード | G000001072-0004 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第240号 |
| ページ | 4 |
| 年代区分 | 2000年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 2000/06/01 |
| 公開日 | ー |