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大里村移民編 編集事務局ニュース 移民史証言 シリーズ(22)

カナダへ花嫁移民 諸見里栄子(島袋)
私は、昭和二五年大里村字島袋で生まれました。小学校は北小学校を終え、それから、大里中学校を卒業して、知念高校へと進みました。それから二十七歳まで会社勤めました二、三度職場を変えましたが、ごく平凡な生活でした二十七歳の年に私は、カナダにすでに住んでいた今の主人と結婚致しました私と主人は、中学二、三年と同じクラスでした。一緒に笑い、口喧嘩した友人仲間の一人でした。中学卒業後、彼は、祖父のいるペルーへ行く事になったんです。彼は小学校五年生の頃ペルーから祖父が初めて沖縄に来たときに逢ったのです。その時から外国で暮らすことを夢見ていたんですね。それから私達の文通が始まりました。二、三年ちよっと途切れた時もありましたけれどもずっと続いていたんです。丁度二十一歳の頃、結婚しようと言って手紙が来たんです、それで私は、もっと大人になって貴方が沖縄へ帰って来たら一緒になってもいいと返事を書いたんですね、ペルーへはどうしても行けないし周りの人も絶対反対するだろうと思っていましたから。

カナダからの手紙
それから何年か後、七十四年にカナダへ渡った事を私に告げました。沖縄へはどうしても帰れないと、そして君がまだ一人でいるなら、僕も君が誰かと結婚するまで、一人で居るよ、と言ってきたんです私はそれにとても心を打たれたんです。その人の愛を受け止めたいと思いましたそういう訳で、私はカナダ行きのキップを手に入れました。兄(善孝)と私だけの兄妹ですけど、母にとっては、只一人の娘ですけど、この人を失いたくなかったんです。だからその時知らない土地での生活の事は、余り不安にはなかった様な気がします。一九七八年、私は初めてカナダの土を踏みました。

肉親との分かれ
そこではじめて故郷をあとにした事、肉親や友人をあとにした事、ドッと淋しさがわいて来たのは、昨日の様に心の中に残って居ます。それから、その年の八月に双児の誕生、思いがけない双児の誕生で、周りは、吃驚、嬉しいやらで、大騒ぎしたのも昨日の様です知らない土地で、言葉も通じない所でのお産は、不安で心細いものですけど、まかせるしかありません。周りの皆さんの暖かい心遣いのお陰で、その日、その日を頑張ることが出来ました。そのとき、お世話になった友人とは今でも恩人としておつき合いさせてもらって居ます。

(引っ越しの好きな国柄)
主人の仕事の関係で二年の間に三度の引っ越しも大一変な事でした子供が生まれて二才の間の二年間でしたので、カナダという国は引っ越しが大変好きな国だという事もその時初めて知りました主人の祖母と私の母(ウメ)が来てくれたのも、その頃で、二人はとてもカナダを気に入り、安心して帰ったので、私も内心ホッとしました。それから一九八四年娘が誕生、その時も二人は来てくれて、とても嬉しかったです。一九八六年初めて私は子供三名を連れて、里帰り、それ以来次々に、みんなが来てくれて、そして、五年前に、兄夫婦が訪れて来てくれた時は、私も一緒に行きたい様な故郷の匂にあこがれました。それから、その後今回が三度目の帰郷になりましたけれど、それも、主人のお陰でして、とても感謝しています広大な美しい自然の中でのびのびと生活している子供達を見ていると、これで良かったと思っています。カナダに在住する大里出身は、
・大城栄(字目取真)一九七一年(南農卒)日本食堂経営、カルガリー
照屋盛信(字島袋)一九七二年(南農卒)エンジニア、カルガリー
諸見里真次カルガリー
移民史事務局 我部

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大分類 テキスト
資料コード 008463
内容コード G000001069-0007
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第237号
ページ 5
年代区分 2000年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 2000/03/01
公開日