ノロ殿内とは、主にノロの住宅を指すといわれていますが、実際はノロヒヌカンのある家、あるいはノロヒヌカンの祀られている祠や建物に対する敬称です。原則として、たとえノロの住宅であっても、屋内や屋敷にノロヒヌカンがない場合は、ノロ殿内とはいいません。その分布は、沖縄諸島に限られることから、ノロヒヌカンの発生は薩摩侵入(一六〇九年)以後という考えがあります。ノロヒヌカンは、最初、ノロの住宅のカマドの神であったと考えられており、それが各家庭のヒヌカンと混同されることを避けるためや聖なるヒヌカンであることから、各家庭のヒヌカンと分けられ、カマドをかたどった三つの石を座敷内に祀っていくようになり、それが庭先に移り、祠や建物内に祀られるようになっていきます。そして、ノロ家が移転した場合もヒヌカンの祠や建物を移すことは遠慮され、元の地に残されたものと考えられています。この場合、ノロ殿内とノ口家は別々になります。では、ノロ殿内の主人であったノロとはいかなる人物かというと、按司のオナリ神であり、按司の支配地一円の最高神女の地位を占めた人でした。ノロとは〈祈る>あるいは〈祈る人>、〈宜る人>という意味であり、ノロの性格は根神と同じですが、根神より政治的色彩が強い神女でした。やがてノロは、支配層から辞令書をもらって任命されノロクモイ地や役知を与えられ、王国の政治的組織に組み入れられ各地方を国王や按司の専制的支配化に組み込む役割を果たしていきました。各ノロは、自らのノロクモイ地を中心とした地域の拝みをつかさどり、祭祀の部分で地域を支配していきます。大里村では西原島袋、高宮城、稲領、湧稲国、目取真、大城の地にノロがいて、地域の祭祀をつかさどっていました。その中で、西原、高宮城、湧稲国、大城のノロ殿内が現在も残っており(教育委員会で確認しているもの)、地域の住民に拝まれています
(文化財担当・山里)
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008462 |
| 内容コード | G000001064-0008 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第232号 |
| ページ | 4 |
| 年代区分 | 1990年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1999/09/01 |
| 公開日 | ー |