ウミナイ御墓は、村道一号線(西原~半田線)沿いで、大里グスクへ進入していく道路を過ぎ、佐敷町へと下りていく途中の左側崖沿いに位置しています。ウミナイ御墓は、岩陰を利用したものであり、岩陰墓の種と考えられるが、墓正面の全面に野面石を積み上げ、墓口を取り付けた掘り込み慕に相当するものとも考えられます。墓の大きさは幅四・九m、高さは高い所が三m、低い所は一・八mを測ります。石積み部分は岩陰墓を覆うように積み上げられているためか、一般の掘り込み墓に比べ雑であり、岩陰部分全てを覆っておらず、左側側面及びト部は途中で石を積むのを止めて、岩陰墓の範囲のみを覆うように造られており、厚さは一・八mを測ります。また、その積み上げられた石積みには膨らんだ部分がみられ、墓正面では僅かに凹凸がみられます。取り付けられた墓口は、墓の中央ではなく、左側に位置しており、幅五六cm、高さ七六cmを測ります。墓口は稚拙な作りのため不明瞭であり、正面からは確認することができますが、側面からはみえにくくなっています。墓の前面には右側と前側に二m程の範囲で石灰岩が並べられ囲まれており、墓口の前面には一mと五○cm程度の略方形をした石灰岩が置かれています。ウミナイとは、一般には王女のことを意味します。その語源は、沖縄方言で姉妹を指すウナイの敬称語であり、元々は王の姉妹を指す言葉でありますが、先王の在位中は御姫で、後に御姉妹になるので、御姫御姉妹がまとめられ、いつのまにか王女のみを意味するようになったと言われています。ウミナイ御墓のウミナイは、語源である姉妹を指しており、大里按司の妹の御墓と伝えられています。大里按司の妹は、清和源氏の一族で保元の乱に敗れ、伊豆大島へ流された源為朝が伊豆大島を脱出し、沖縄へ逃れた時に結婚した女性であるという伝承が残っています。大里按司の妹は、源為朝が日本へ帰っていった後、大里へ戻り、この地で亡くなったので、ここに葬られたということです。また、大里按司の妹と源為朝との間にできた子供が天孫氏の後に琉球に最初王朝を築いた舜天王であったといわれています。
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008462 |
| 内容コード | G000001058-0005 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第226号 |
| ページ | 4 |
| 年代区分 | 1990年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1999/03/01 |
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