大里按司の墓は、現在、大里グスク内にある展望台の北側崖下で、崖の中腹に掘り込まれた古い墓です。墓の前面は、稚拙な切り石や自然の雑石でふさがれ、墓正面に墓口が設けられた掘り込み墓です。墓の大きさは、幅七・五m、高さ二・一五mを測り、墓口の大きさは幅七一cm、高さ約八七cm程を測ります。また、現在、墓の右側上部には、覗き穴があります(地元の方の話によれば、元々あったのだが、戦争で墓が破壊されたとき、壊れた部分を新たに積み直し、覗き穴を設け、鉄格子を付けたということです。)墓の前には、幅七・五m×長さ四m程の小規模な前庭が広がっており、その周囲を琉球石灰岩の自然石を用いた野面積みの石積みが巡っています。庭囲いの石積みは、東側の残りが良く、崖側は根石の部分が僅かにみられるのみです。墓の内部(墓室)には、家型石厨子やマンガン掛け陶製厨子甕などが数点みられます。また、戦時中には避難濠としても使われていたようであり、中にはジーファー(かんざし)がみられたと言うことも伝えられています墓口は、大里グスク正殿跡から検出された礎石と同種の石材である細粒砂岩(ニービヌフニ)でふさがれており、その大きさや形態から正殿跡より抜き取られた礎石の一つが使われたと思われます。墓へは、戦前崖下の南風原区から墓まで石畳道が敷かれていて、そこを通って御参りをしていたということですが、戦後は石畳道が採石によってなくなったため、現在大里グスク内にある展望台の西側脇にある小路(戦時中に日本軍によって、砲台建設のため破壊された崖部分の小路)から崖に沿って、降りていき、墓へ行くようになっていま墓は、口碑伝承によれば、大里按司の墓と言われていますが、調査は行われておらず、はっきりと確認はできていません。また、墓の造営年代は不明ですが、宜野湾市嘉数に所在する小禄墓と似た作りをしていることから、一四九〇年頃には浩営されていたものと考えられますす。
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/10h7X8yRTwu97f8a9zchzY_JARtCXXixz/view?usp=drive_link |
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008462 |
| 内容コード | G000001057-0013 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第225号 |
| ページ | 10 |
| 年代区分 | 1990年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1999/02/01 |
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