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大里村史移民編 編集事務局ニュース -〇-○移民史証言シリーズ(9)〇-〇-

『フラジル生活六○年余』大城ヨシ(八〇歳)
沖縄県から第一回ブラジル移民が送り出されたのは、一九〇八年(明治四一年)です。移民輸送船で名高い笠戸丸がブラジルへ向け県人三二五名(全国七八一名)を乗せて出発しました。その中に大里村出身者も契約移民として知念南徳さん、照屋堅仁さん、上原山さん他一〇名の方がブラジル第一回移民として旅券下付表の記録に残っています。以来ブラジル移民が受け入れられましてから今年はちようど九〇周年に当り盛大なイベントが行なわれました。又笠戸丸がサントス法に到着した六月十八日を移民の日として設けられています。ブラジルにはサンパウロを中心として、多くの大里村民が生活をしています。今回取材いたしました大城ヨシさんはブラジル在住六〇年余の想い出を語ってもらいました。私がブラジルへ移住したのは、昭和十四年二二歳の時でした。夫、真輝さんは同じ字大城区の出身です。彼は兄、真助と共に三人の兄弟で八年前にサンパウロへ移住していました。私は島袋家の一人娘でしたが新天地に夢を抱いて花嫁移民として真輝さんの待つブラジルへ渡りました。三五日間の船旅で当時旅費は二万五千円でした。旅費は呼び寄せ人の真輝さんが支払ってくれたと思います。サンパウロ港に夫、真輝さんは迎えに来てくれました。そこから夫の住む村までは十一時間余もかかり、山また山を越え山林の中を通って到着しました。夢にまで見たブラジルは周囲山ばかりの淋しい所だったので、私は三日三晩泣き続けました。その後、気を取り直し夫、真輝さんと共に野菜作りをし、隣の馬車に便乗させてもらいフェイラ(露天市)へ売りに行きました。その後自分の馬車を買い一人で野菜売りに行きました。途中馬があばれて馬車から振り落とされたこともあります。しばらく野菜作りと豚を養う多角経営をしました。五、六年後サンパウロに出て、三、四年は農業をしましたが、メルカード(市場)に入って組合から商品を仕入れて販売する仕事で落ち着きました。(約四〇年)ブラジルでは、野菜、果物が豊富でそのうえ肉類もよく食べます。フェジョン(豆食)という豆に味付けしたのをご飯にかけて食べます。お祝いのご馳走にはフェジョンワールといって豚肉や野菜を煮込んだ料理(沖縄での中味汁)のように作ります。大里村民の多くはサンパBATC9,9ENTRALDOBRTSILウロを中心にマットグロソに住んでいます。老後、真輝さんの親戚の多い自分の生まれた沖縄に帰りたいとの希望で、平成八年三月に帰郷しました。ところが夫は昨年他界しました。沖縄での生活は一年でしたが、たくさんの親せきとのつき合いができて幸せだったと思います。夫、真輝さんの死後、ひとりぽっちになって大変さびしい思いをしていましたが、今では東雲の丘のデイサービス、稲嶺のミニデイサービスと週二回、それからほほえみくらぶの芝居見学等、いつでも親せきや隣り近所のみなさんが親切にしてくれるので楽しい日々を送っています。

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大分類 テキスト
資料コード 008462
内容コード G000001055-0009
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第223号
ページ 8
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1998/11/01
公開日