『夢を求めて』知念盛達
私が南米移民しましたのは、今から四十年前の一九五七年(昭和三十二年)の十月で、満二〇歳の時です。その頃は南米移民が盛んに新聞に報じられ、私も行ってみようと思い立ち、早速沖縄県産業開発青年隊に入隊し、六ヵ月間の訓練を修了し移民いたしました。移民の動機は、私は知念高等学校を卒業と同時に外国人関係の仕事をしておりました関係上、当時の外国人の沖縄での日常生活が車社会の生活だったのと、それに彼らの生活環境と外国に移住なされている方々からの救援物資の配給等を目の当たりに見てきましたので、外国は経済的にも日本国より住民の生活が豊かであるんだと思いました。第三次移民青年隊として二十五名と共に渡伯いたしました。二カ月間の長い船旅でしたが、リオという港に着きました。その日のうち在伯沖縄協会の役員の皆さんが迎えにきてくれました。一人びとり青年隊員の配耕割当先を伝達されました。私の場合は、身元引受人の叔父さんがサンパウロ市内に在住しており、サントス港に迎えにきていただいたので、安心いたしました。それ以来叔父さんの店で働くことになりましたが、一番困ったことは、言葉が話せないことでした。叔父・叔母とは会話はできても、いとこ達との会話ができずに大変苦労いたしました。そのお陰で一緒に行った隊員よりは早くブラジル語(ポルトガル語)を覚えることができました。三年目には職業運転免許証を取得し、沖縄出身の経営するお菓子工場の外務員(販売)として働くことになりました。そこでサンパウロ市内や近郊の地理もわかるようになりましたので、工場を退社し、個人タクシーを買い求め、帰国するまでブラジル国で運送業に携わってまいりましたが、経済不況と高失業率、物価高、政情不安なため、昭和四十八年六月帰国しました。ブラジル国在住十六年の生活でしたが在伯時代は沖縄県人会の中で青年会を結成し二、三世の若者たちとのコミュニケーションを持つための組織化や美人コンテスト、歌謡曲大会等活動いたしました。妻セツ子とは在伯沖縄県人会の青年部の中で知り合って結婚、ブラジル二世でありますが私と共に沖縄に帰国しました。
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1ixGqCA9S_N54P3JW7eeuPXZ4MOLN1Gog/view?usp=drive_link |
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008462 |
| 内容コード | G000001054-0004 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第222号 |
| ページ | 5 |
| 年代区分 | 1990年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1998/10/01 |
| 公開日 | ー |