なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

大里村史移民編 編集事務局ニュース -〇-○移民史証言シリーズ(6)〇-○-

『夢は広い国での農業』
今回移民体験の聞き取をいたしました方は、新里長英さん(七九才)です。フィリピン移民体験と戦後引き揚げてきた状況を語ってもらいました。私は生で父(平貞)母(ウト)の次男として字当間で生れました。幼少のころから元気者で、尋常高等学校(現南小学校)を卒業しました。私の家は農地が少なく、農業では生計を維持するにはものたりないので十八才のとき大阪へ出稼ぎに行きました。約六ヵ月ほど働いていましたが母から沖縄へすぐ帰るようにとの連絡がありました。母がいうには私が九才のときフィリピンに渡った父が麻栽培をしていましたので父の呼び寄せで手伝いに行くようにとのことでありました。私も十九才にもなったことだし父のいるフィリピンに行く決小をしました。現地での父の農場は山手の奥深い地にあり、当時の沖縄の農地の広さとは比較にならないほど広々としていました。現地での食生活も沖縄より遙かに良かったと記憶しています。治安の面では悪いと思いました。現地での言葉に不自由しましたが父が話せたので助かりました。一カ年ほど父の農場で働きました。そして沖縄から妻(トミ)を呼び寄せ独立をすることにしました。最初は婿兄弟(城間さん)と麻の乾煤の共同経営をはじめました。午前七時から午後十時まで一日十五時間の労働でした。しかしその仕事も長つづきはしませんでした。父の勧めで古い家を買い食堂と邦人相手の下宿を始めました。ようやく軌道にのり商売も繁盛し生活も落ち着いたころ第二次大戦が勃発したのです。私は徴兵検査で歩兵部隊に現地入隊することになり、フィリピンで終戦をむかえました。戦争中は邦人兵にいじめられながら同郷の同志が助け合った事、悲惨な出来ごとなど語りつくせない事件も数多く経験しまーた。引き揚げにあたっては家族の安否が気掛かりでしたが情報を便りに収容所を尋ねたところ、偶然にも父(平貞)に遭うことができました。引き揚げ者と一緒に妻(トミ)長男(安雄三才)の無事な姿に遭遇することが出来ました。その感動は親兄弟でなければわからないものです。昭和二〇年十一月十二日、宮崎から沖縄に引き揚げてきました。フィリピン滞在五カ年余でしたが人間の運命は不思議なもので目にみえない糸でむすばれているのだろうか、家族と偶然に遭遇するという出来ことは不自然とは思えないからです。帰郷後は字当間において青年会を組織し、一致協力してむら起し事業に取り組んだこと、会員のすすめで初代青年会長として部落復興に努めた事などが思いだされます。あの非情な戦争は二度とあってはならない、移民地で築きあげた財産の没収、戦争で死亡した人たちの悲しみ等体験した人でないと解らないものです。非情な戦争は再びあってはいけない、そして恒久平和を願って、私のフィリピンでの農業体験と戦禍の実態を語って終わらせていただきます。

ダウンロード https://drive.google.com/file/d/1nlyI8OG9Yn3UaKinI1m9Dw9zO2KpRie5/view?usp=drive_link
大分類 テキスト
資料コード 008462
内容コード G000001052-0009
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第220号
ページ 5
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1998/08/01
公開日