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文化財シリーズ⑩ 《大城城跡》

大城城跡は、大城集落の北側後方で、標高百四十三mの独立小丘上に形成されており、平成五年度に大里村の記念物(史跡)として指定されました。小丘上は平坦であり、四つの平場をもつ山城で、現在城内は、草が生い茂っており、その様相ははっきりとつかめないが、南側に城門を開き、北側が一段高くなり正殿跡が確認されています。正殿跡は基壇上につくられており、そこには柱を支える石灰岩製の礎石が八間×四間の規模でみつかっています。正殿跡の後方には大きな平場が形成されており、城主が生活を行った建物があったと考えられます。正殿跡の東側平場には火神(ヒヌカン)を祀った、ミヒヌカンが所在することから、台所を伴う建物があったと考えられ、ここで城主やその家族の食事等が作られていたのでしょう。正殿跡の南側には大きな平場が広がっています。ここは、御庭として使用されたものと考えられ、多くの家来が城主に謁見した場所であろう。これらの各平場は石積みによって区画されています。城内を囲む石積みは崖に沿うように築かれており、基礎となる部分のみが崩れた形で残っています。この石積みは首里城を築城する際に、運び出されていったという伝承が残っています。以上のようなことが、平成二年度に行われた城跡の縄張りを調査した際に分かっています。また、調査によって正殿跡には礎石立ちの建物が作られる前に、掘建柱建物が作られていたことが確認されており、そこからは城跡に住んでいた人々が使った土器や中国製磁器、鉄器等の生活道具が見つかっています。
また、城跡内には多くの拝所がみられ、正殿跡の西側にはウフイビヌメー(別称ヤラザ森)、東側には先述のミヒヌカン、南側にミサマ、崖沿いにシチャヌハラ、アカバンクー、ユノーシがあり、これら六カ所を大城区では上の六カ所(ロッカジューガ)と呼んで拝んでいます。この他に、崖沿いにはアジガーやヌルガーなどの井戸が所在しています。大城城跡は、田里親雲上創作の組踊「大城崩」の原形となっている大城按司と大里按司に関わる伝承が残っており、歴史的にも重要な城跡であります。また、大城区の先達が玉城村の人々であることや大城按司が玉城出身であることは、近世までこの地が玉城村(玉城間切)であったことを示しています(一六六四年に大里間切へ編入された)。〈文化財担当・山里〉

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大分類 テキスト
資料コード 008462
内容コード G000001050-0011
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第218号
ページ 6
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1998/06/01
公開日