なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

大里村史移民編 編集事務局ニュース⑤

移民史編集事務局では、昨年の十一月一日、専門委員による大里村内視察を行いました。村内の移民資料館や移民者がたくさん輩出している字や、大里村内の史跡等を約三時間かけて視察しました。当日は、戦後移民に多大な影響を与えた、沖縄産業青年開発隊創設者の瑞慶覧長仁氏(故人)の資料館(字銭又在)を訪ね、貴重な資料の数々に触れることができました。更にアルゼンチン移民者が多い字平良を経由しながら、南風原公民館を訪れました。ここでは戦後、移民先から送られた寄付金の記録が残されており、貴重な文化財と共に大変参考になりました。続いて大里城跡では、村の歴史に触れながら眼下に広がる村の輪郭をつかむことができました。最後に刀匠兼濱清周氏の鍛冶場を見学し、視察を終えました。

-〇-〇移民史証言シリーズ(4)〇-〇-
新垣正行さん
私は昭和三十一年にブラジルに移民しました。字稲嶺の出身ですが、当時は沖縄の生活は厳しかったです。戦争で父も亡くしていましたので貧困でした。もちろん当時の沖縄全体がそうだったんですが、十八歳の若者だった私には移民に対するあこがれが募って行ったんですね。ブラジルには叔父が既に渡っていて安定した生活をしていたんですよ。自分も呼び寄せしてくれるよう何度も手紙を送ってやっと許可をもらったのは十回目の手紙を出した後だったんです。嬉しかったですね。その時は首里高校の定時制に通っており卒業が目前だったんですが、卒業を待たずに沖縄を出ました。那覇港を出るときは不思議なくらい不安も郷愁も湧いて来なかったですね。オランダ船のチサダネ号に乗って海を渡ったんですが、香港を経由してサントス港へは五十九日要しました。今思えば一番良い時代に行ったといえるんじやないでしようか。一世の移民者が苦労に苦労を重ねて築いた基盤が出来上がっていたんですね。先輩達から「良い時に来たね」と言われたのが、今でも印象的です。回りの励ましを受けながら叔父の農業を手伝ったんですが、一週間に一回はイトコ達と町へ繰り出し日本映画を見たんですよ。沖縄では昼間働き夜は学校に通うという風に遊びらしいものを経験しなかったので楽しかったですよ。青春時代の真つ盛りをブラジルで過ごしたようなものです。移民して本当に良かったと思いました。
叔父から用立ててもらった渡航費は四年掛かって返済して、その後は、住んでいたマットグロッソからサンパウロに移り独立して商売を始めました。フェイラ(移動市場)で日用雑貨を扱う商売を始め、その後結婚して子供も四名できました。商売は順調でしたが、長男が高校に進学する時に、ふと、子ども達の将来が気になりました。このまま外国に居ることが子供の人生にとって最良なのかどうか迷いましたね。丁度その時、沖縄が好景気に向かっている時でーたので、引き揚げるには今だと思い、決断した訳です。移民先から帰国する人はほとんどの人がそうですが、決して大きな財産を築いて持って帰って来る訳ではないんです。私の場合もブラジルから大きな財産を持って帰った訳ではありませんが、帰国後は私の兄弟三名が、随分助けてくれました。何より母が健在で、達者だったのが有り難かったです。今も母は元気です。この母が私が移民する時、当時二〇ドルを持たせてくれたのも今ではなつかしい思い出です。きっと苦労して工面してくれたんだと思います。青春時代に渡ってから二〇年過ごしたブラジルですから、今でも思い出すことはたくさんありますが、子供達が無事成長し、がんばってくれている姿を見るとつくづく帰って来て良かったと思います。

このように移民体験を語って下さった新垣正行さんですが村が今後行う予定の海外現地調査にも大変協力的で、資料なども惜しまず提供して下さいました。大変感謝しております。

ダウンロード https://drive.google.com/file/d/1ObX2iHU4Loy5OuvK945FxQCtVRBghDI3/view?usp=drive_link
大分類 テキスト
資料コード 008462
内容コード G000001046-0006
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第214号
ページ 5
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1998/03/01
公開日 2026/03/27