飯栄森御獄は、南風原区の公民館裏の急斜面の崖の上に位置しており、平成2年に大里村の有形民俗文化財として指定されました。御獄の由来や建造年代等については不明です。飯栄森御獄の名称は、もともとウィムイ・ウィヌムイ(上森)」と呼ばれていたものが、後に「飯栄森」と当て字され、今日に伝わったのではないかとする説があります。飯栄森御獄は、公民館の畏にあり、公民館内にある神棚の奥の壁は透かしぼりされ、飯栄森御獄へと向いています。また、公民館裏には琉球石灰岩で造られたアーチ門とそれに続く石積みが造られ、アーチ門の両脇には灯籠が建って、中央部には香炉が置かれています。この両者は、御獄へのお通しとして用いられています。門をくぐると急斜面の星の上にある御獄へと続く急勾配の階段が造られています。御獄は、高さ約七〇センチの自然石等を利用した基壇上に琉球石灰岩造りで円筒形をしたお墓を中心として建てられています。お墓の形態は、琉球石灰岩を一・一メートルの円筒状に積み上げ、その上にむくりのついた石灰岩の屋根石をのせ、その頂上部分に宝珠が置かれ、基壇の前には幅四メートル、奥行き二メートルの前庭があります。御獄に向かって右側には方形の琉球石灰岩を置きむくりのついた屋根石をのせ、胴部に方形の穴をあけた灯籠が建てられています。また、左側には、細粒砂岩(ニービヌフ二)に刻まれた石碑が建てられ、その石碑には「此に骨あり世に遠くして其人知らず、然れども崇ありて嘉慶二十年八月其散骸を此葬」と記されています。説によれば、保元の乱によって伊豆大島に流され、後に伊豆大島を脱出し、南島へ逃れたといわれる源為朝と大里按司の娘の間にできた子供として、琉球で最初の王朝を作ったといわれている舜天王の墓ともいわれています。
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1ObX2iHU4Loy5OuvK945FxQCtVRBghDI3/view?usp=drive_link |
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008462 |
| 内容コード | G000001046-0005 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第214号 |
| ページ | 4 |
| 年代区分 | 1990年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1998/03/01 |
| 公開日 | 2026/03/27 |