今回御登場いただく知念政助さんは、五〇年余りを移民地ペルーで過ごされ大里村へは十一年前に帰って来られまーた。現在八十二歳でいらつしやいますが、奥様(光子さん・六十一歳)、二人の娘さん(マルタさん・二十四歳、アナさん十六歳)と共に高宮城にお住まいです。十八歳で移民し、帰国に至るまでの思い出話を語っていただきました。昭和九年に父(知念政和さん)の呼び寄せでペルーへ渡りましたが、当時旅費は千円ぐらいだったと思いますね。一ケ月と五日かかっての渡航でしたが、食事も三食付いたし理髪店や洗濯屋、レストランもありましたよ。船の名は平洋丸と言って横浜から出航しました。三五○人ぐらい乗っていて沖縄の人が本当に多かったですよ」いつかは故郷で待つ母や妹を呼び寄せたいと希望を抱いての船旅であったと言います。上陸後はコーヒー店に職を得、言葉を覚えるまではと一日十七時間の労働を終えると夜は必ず読み書きの勉強も怠らなかったと当時を振り返ります。「職は、養鶏、農業、レストラン経営、更に農耕機械や酒類の行商なども手掛けたよ。少しでも儲かる商売をと思ってね。でも一番楽しかったのは二〇年やった農業だったね」移民地での生活も安定してくると知念さんは村人会活動も熱心にされました。幹事として奉仕活動に奔走し、異国の地で同郷の者同志互いに助け合って生きてきたとおっしやいます。又、戦争当時の思い出に触れ、「ペルーでは一世も二世も自由を奪われ大変苦しい思いをしたが、沖縄戦では母(知念カメさん)と妹(見代子さん)を亡くしてしまった。もう少し早く呼び寄せできていれば…と言葉少なに語られました。ヘルーで苦楽を共にしたお父様も現地で亡くなられて既に三〇年。沖縄へはお骨を抱いての帰国でした帰国後は現在横須賀で働いている長男ホルへさん(二十七歳)と共に部落の行事にも積極的に参加されました。ホルへさんのサッカー仲間も多く、村陸上大会では中距離で活躍もしました。性格も明るいホルへさんは妹さんと共に一家の生計を助けておられます。五〇年に渡る移民生活で培われた精神力の賜でしようか、八十二歳とは思えない記憶力とお元気さの知念さん。どうかいつまでもお元気で。どうもありがとうございました。
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008462 |
| 内容コード | G000001043-0007 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第211号 |
| ページ | 5 |
| 年代区分 | 1990年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1997/10/01 |
| 公開日 | 2026/03/27 |