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文化財シリーズ④ 古堅のミーミンメー

今回は、村の無形民俗指定文化財である古堅のミーミンメー(豊年祭)についてです。ミーミンメーは、旧暦の四月一日に公民館を中心に数ケ所で行われている。当初、ミーミンメーはアラバタアラシー(荒畑競争)、スリチラーアラシー(苗蕉布競争)と呼ばれており、古堅区の伝統行事として毎年行われている。元々のミーミンメーは、畑仕事を終えての区民同志の慰労会みたいなものから始まり、現在は子孫繁栄の意味合いをもつものへと変化してきています。ラバタアラシーは集落の畑をいく組かに分け、どの組が先に耕すかという勝負をさせ、勝った組に酒をふるまう行事であったそうです。また、その頃は衣替えの時期であり、冬物から夏物の衣類へと変わる頃であるので婦人達は夫達の着ている着物の織り方や染め方、柄などの出来上がり具合で腕を競いあったことからスリチラーアラシーと呼ばれてもいました。戦後まもなく、子孫繁栄や古堅区の神々に感謝をする意味合いでミルク(弥勅)を作り直し。踊りを中心に棒術(ファイファー棒)も演じられるようになって伝承されているものが、現在のミーミンメー(豊年祭)と呼ばれているものである。ミーミンメーは、ミルクを中心に踊り手の子供達や棒術の青年達がウフティラ(元屋)から始まり、お宮↓公民館↓イリジョウのアシビナ↓ウマイーグァの順に通ジュネーを進めていきます。ミーミンメーは、いつ頃、誰によって始められたかは不明であるが、地元の人達の話では一八三四年頃から始まったものではないかと言われている。首里の汀良町には沖縄固有の最高神職と言われる『聞得大君殿』があって、その下に儀保殿内(北山系)、赤田首里殿内(中山系)、首里真和志の真壁殿内(南山系)があり、各村にはノ口を置いて各々その地区を支配していた。ミーミンメーは、赤田の首里殿内のミーミメーを見た古堅区の人がこれを真似して古堅で行ったと伝承されている。これは、首里御殿や殿内に古堅区の人達の多くが奉公人として働いていたことからきているようである。ミーミンメーの構成は、ミルク、老人、老婆、ミーミンメーの踊り手の子供達が中心となって行われ、それ以外に琉球舞踊や棒術が行われている。

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大分類 テキスト
資料コード 008462
内容コード G000001042-0008
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第210号
ページ 4
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1997/09/01
公開日 2026/03/27