大里村学力向上対策委員会(瑞慶覧長吉委員長)の平成八年度実践発表会が一月二十三日午後、大里北小学校体育館で約二〇〇人が出席して開かれました。実践発表会に先だち北南幼稚園、北南小学校、中学校では午後一時三〇分まで父母らが、わが子の授業を参観しました。実践発表会で瑞慶覧委員長が「県の目標を踏まえ、知・徳・体の調和のとれた人間の育成と自ら学ぶ意欲を育て、学力の向上を目指して本日は学校、家庭、地域から発表して頂き、本村の学校教育がより充実することを図りたい」とあいさつを述べました。発表者は、学校教育部会から南幼稚園教頭の新垣津也子先生、南幼稚園父母代表の新垣洋子さん、北小学校教務主任の屋良朝俊先生が、家庭教育部会から南小学校PTAの前盛昭人さんが、地域教育部会から福原支部の金城俊満さん、同支部子ども代表の多良間理絵さんがそれぞれの実践を発表しました。その中から、子育ては幼いときからが大事ですので、南幼稚園父母代表の新垣さんの実践をご紹介します。
子育てトークトーク 実践発表 新垣洋子
場ちがいとは思いましたが園の先生方のお陰で寿ちゃん共々幸せになれることへの感謝の気持で出させていただきました。ここにお集りの皆様それぞれ素晴しい実践をしておられると思いますが、今日は、このおばの話も聞いていただければと思います。事情があって寿ちゃんをあずかることになってから二年。家に来た当時の寿ちゃんは、一人ぼっちにされるのではないかと言う不安にかられ衝動的行動に走りがちでした。例えば、面倒を見ている姉が出かけるとなると学校であろうと、仕事であろうと言い訳を聞いてくれません。それをふり切って出かけると泣きながら車の後を追ってどこまでもどこまでも行きました。何度か騒動しました。通りがかりの人に与那原署へ連れて行かれたこともありました。ある時には、夜中の十一時頃から、おじの車の後を追って駆け出し、大通りを歩いているのを隣の方に連れて来てもらったこともあります。その外にも、自分の欲求が受け入れられない時には、イヤッ!イヤッ!と泣き叫び、一時間でも泣いていました。近所の人に昨日は何だったの?どうしたの?と何度か聞かれました。こんな状態の中で寿ちゃんは幼稚園へ入園することになりました。寿ちゃんは、幼稚園が大好きです。先生が大好きです。言い訳のきかない子は、幼稚園へは行かせないと言うと何でもききます。担任の先生の園だよりはもちろんですが、教頭先生ともお隣同士で寿ちゃんの園での生活と指導の内容をこと細かく知らせて下さいました。最初から分かっていながら、なかなか前向きにこの子を受けとめることが出来なかった自分を恥ました。幼稚園の先生がこんなに頑張っているのに私は何をしているのだと思いました。自分しかいないんではないかと新ためて思い決心もしました。そこから私の実践が始まりました。まず母に協力願いをしました。「今、とても大切な時期であるだけに放っとく訳には行かない。私の生活パターンをこの子中心にもっていきたい」と話しました。もちろん、母はオッケーしました。まずは園の送り迎えです。「行って参ります」家の中から応答がない。また「行って参ります」と、二人で何回も何回も言いました。二~三日もすると一人で言えるようになりました。次は、二才の孫も一緒にバスの見送りです。通園バスを待ちながら行き交う人々全てにあいさつをすると、幼児達は「なんで、なんで」と言っていました。いつのまにか寿ちゃんもおはようございます」と言えるようになりました。二才の孫までが「おはようございます」を言うようになり親が喜んでおりました。子どもって大人のやるようにするんだな、真似をして育つんだなと思いました。さて、自分の思いを素直に言えない謝まれないことが起りました。ボール投げをして遊んでいる最中に人様の家のガラスを割ってしまったのです。寿ちゃんは黙っていました。一週間程してから、その事を友達が知らせてくれました。早速、一緒に謝まりに行きました。もじもじ、もじもじなかなか謝まれません。私は、ひざまづいて、この子が「ごめんなさい」と言うまで何度も何度も謝まりました。やっと、顔を真っ赤にして「ごめんなさい」と謝まることが出来ました。家へ帰る途中、「洋子おばさん、チョー恥ずかしかった。」と、寿ちゃんが言うのです。私は、「やったー!」と思いました。寿ちゃんと二才の孫を連れて那覇へ出かけた時のことです。向こうへ着いたらジュースを買おうね」と言って三人で歌をうたいながら行きました。目的地に着くとそこは留守でありました。近くにお店もなかったので帰りにスーパーに寄って買おうねと言いましたら、イヤーイヤ」と泣きさけんで聞き入れてくれません。泣きやまないとスーパーにも寄らないよ」と強い口調で言ったらやっと泣きやんで寝てしまいました。スーパーへ着くと起こしました。私と孫は、運転席から降りました。寿ちゃんはまたイヤーイヤーと泣きはじめました。いったん三人とも車から降りましたが、泣きやまないので車に乗り込みました。泣き叫ぶ寿ちゃんをむりやり車に乗せて帰りました。お前が泣きやまない限り、絶対ジュースは買わない」と真剣に怒りました。やっと泣きながら「ごめんなさい」と何度も何度も言ってくれました。何でも思う通りにしたい気持ちが先行してわがままとなり、約束も出来ず、泣くことで自分の思いを通そうとする。これには本当に腹が立ちました。まっ正面から真剣にぶつかりました。また、その都度直面するわがままについても即、指導を続け約束ごとも守ることの大切さを分からせてきました。その頃、園でもはじめて「ごめんなさい」が言えた感激のお便りをいただきました。夏休み中は朝の一時間だけ寿ちゃんと一緒に過ごしました。まず、スキンシップを図りながら、文字を書かせたり、生活票の色塗りをやらせたりして一人でじっと座れることが出来るように心がけました。何でもない実践のように思いましたが後になって寿ちゃんの育ちに大きく影響していたことが分かりました。それは、私と寿ちゃんの信頼関係が築かれたことです。と同時に私を母親のように思うようになった寿ちゃんの心に大きな変化が見られるようになったのです。私を独占しようと愚痴がはじまりました。二才の孫と一緒にお風呂に入れます。頭を洗うのも体を洗うのもみんな自分が先と言い張るのでジャンケンで決めさせていました。ところが、ある日、体を拭くのもパッパ(てんかふをつける)するのも自分が先だと言ってききません。頭にきた私はもう勝手にしなさい」と言ってお風呂場から出て来ました。そしたら、おもしろいことに寿ちゃんが二才の孫の体を拭き、パッパをして出てきたのです。それを見た家族は笑ってしまいましたが、私は「あっそれでいいんだ」と思いました。後日、孫の目にシャンプーが入ってしまったことがありました。その時、寿ちゃんがタオルを取ってきて拭いてくれました。あっやっぱりお姉さんだね」と誉めてあげました。それからと言うもの、お姉さんりを発揮するようになりました。そして、孫との育ち合いも見られるようになりました。今では、みんながお風呂の時間を待ちかんていしています。今日の今日まで寿ちゃんを人の人格をもった子どもとして見てきましたが、本当にいろんなことがあったなあとつくづく思います。時には、怒ったり、突き放したり、拘きしめたり等々。そこまで育った寿ちゃんの背景を考えて見ると、①私と寿ちゃん、園での先牛や友達との信頼関係の築きが確立され自信をもって楽しく生活が出来たこと。②家族の温かい理解と協力があったこと。③家族と園での寿ちゃんの育ちへの願いが幼家連携を通してうまく重なった教育が出来たこと。ます。等があげられるように思い人は、誰しも成長するのに発達の過程があります。特に幼児は人生の基礎づくりのまっただ中に生きています。親の真似をします。それこそ、吸取り紙のごとく吸い取ってしまいます。良いモデルになる努力はもちろんのこと、今やらねばならないことをまず親が率先してやらねばと思いました。怠った分は、五年先、十年先、何十倍も親子ともども苦労することになります。これから私は、寿ちゃんと緒に行動をして悟し、行動をおこさせ、直接体験を豊かにしていく中でいろんなことを体得させていこう。又、言動についても気がついたら子どもに負けないように即指導をしていこう。このようなことを日々の生活の中でくり返しやって行こうと思っています。寿ちゃんと共に育ち合った日々に感謝し、これから待ち受けているだろういろんな困難に向かって人生を楽しみながらのり越えていけるように頑張って行きたいと思います。どこでも、誰にでも元気よくあいさつが出来るようになった寿ちゃんに拍手を送りながら発表を終わらせていただきます。
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1VKQUsh3D4fG_geE6zxHot1ZpGGyQlS1g/view?usp=drive_link |
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008462 |
| 内容コード | G000001036-0002 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第204号 |
| ページ | 2-3 |
| 年代区分 | 1990年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1997/03/01 |
| 公開日 | 2026/03/27 |