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『おもろさうし』の世界からウフザトの歴史がみえる=村文化講演会=

村文化講演会(主催村教育委員会、共催:NHK沖縄放送局)が十二月二日、村改善センターで開かれ、元法政大学教授の外間守善氏が「沖縄の歴史と文化-大里の歴史を考える」の演題で講演。会場に詰め掛けた四百人余の聴衆は、琉球史の話しから「おもろさうし」にみる大里の歴史の話しに耳を傾けました。外間氏は「数ある沖縄の歴史書からは、大里の歴史はわからない。しかし、『おもろさうし』の中に歌われている大里をみてみるとグスク時代の当時の様子がみえる」と話しされ、「大里は、稲作に恵まれた地であったそれは、大里には南部の河川(国場川、饒波川、雄樋川)の源流があり、水条件にも恵まれ、農業(稲作)を継続的にして行くために必要な鉄製の農具も河川を利用した交易で手に入れ、生活を持続的に豊かにした」と説明また「大里には、稲作に縁のある『稲』のつく地名(稲嶺、湧稲国、稲福)が三つあることも、いかに稲作豊かな地だったかが伺いしれる」と話しました。大城グスクについて外間氏は「城主は、かなりの兵力を持っていて戦いにも備えていた大里城と糸数城に囲まれていたため、心休まることなく当地を守っていただろう」と話しまた「城は、りつぱな門構えで、神まつりも賑やかに行われていた。居城の下方は湿地帯で、稲作豊かな地であっただろう」と話しました。島尻大里(糸満)と島添大里のどちらが南山の居城だったかについて外間氏は「それはわからないというのが正しい。しかし、『おもろさうし』からとらえて歴史的想像をしてみると、南山王は二筋の系統がみられ、最初と後半の二人いた。最初に栄えていたのは島添大里であったであろうといりことから、初めのころの王は島添大里で、後半が島尻大里であったのでは」と話しました。外間氏は、大里という地名の由来にも触れ「『里』というのは、人が集まったところを(集落)を意味し、稲作豊かな地であった大里は、人々にとって生活しやすい、くらしやすい地であった。里主(按可)は、良い地(里)を選んでくる。いい地(里は、里主(按司)を選ぶ。当地の里主は、かなりの大きな政治的、経済的力を持っていたために、『大里』という地名に結びついたのでは」と話しました。

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大分類 テキスト
資料コード 008462
内容コード G000001024-0007
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと第192号(1996年1月)
ページ 8
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1996/01/01
公開日 2026/03/27