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『人間性豊かなまち 活力あるまち 大里』 埼玉県大里村発⑧ 友好村 大里とよばれたのはいつごろから

私たちが住む大里村は、昭和三十年の「市田村」と「吉見村」の合併により誕生しました。その際、村名について大里、吉野神里とする候補があがりましたが、最終的に大里郡の郡名をとって大里村と名づけられました。「大里」というのは、今から一三〇〇年の前の飛鳥時代(七世紀後半)にはすでに使われていたようです。当時、日本は中国の制度にならい、国家として新しい行政制度が作られ、各地に国(現在の県)や郡(現在の郡)などが、国家の下部機構として設置されました。現在の埼玉県は武蔵国(むさしのくに)に含まれ、埼玉県と東京都及び神奈川県川崎市と横浜市を含む広い範囲を武蔵国とし、さらに武蔵国の中を二十の郡に分け、この郡の中に「大里郡」と呼ばれた郡があったと平安時代の書物に記載されています。このことは、近年の発掘調査でも裏付けられており、東京都国分寺市にあった武蔵国分寺跡から出土した瓦に「大里郡」と刻まれた文字があり、また奈良県にある藤原京跡から出土した瓦にも墨で書かれた「大里評」(郡と呼ぶ前は評と呼んだ)の文字が見つかっています。このように大里の名は、これ以降忘れられることなく一三〇〇年も経つ今でも伝え使われています。

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大分類 テキスト
資料コード 008462
内容コード G000001017-0006
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと第185号(1995年5月)
ページ 3
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1995/05/08
公開日 2026/03/27