なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

『一家の灯台めざして』 比嘉絹代(島袋婦人会)

「時間だよ、起きなさい」私のかけ声で一日がスタート。眠い目をこすりながら私と共に朝の新聞配達が始まります。我が家が朝刊の配達を始めて約八年になります。初めは主人と子供が車に乗っての親子配達でした。しかし、去年の一月、我が家にとてつもない事が起きたのです。主人が、朝、目が痛くて起きづらいと言っていた矢先、いつものように出勤したものの、しばらくして帰ってきたのです。色は青ざめ、横になると同時に激しいおう吐を繰り返しました。病院でみてもらった結果、御主人は、悪性の脳種ようで、このままではあと二カ月の生命です。子供達にもよく話すように」との医師の言葉。いつもはテレビのドラマで聞いてきたガンの宣告が、まさか事実となって自分に向けられようとは夢にも思っていませんでした。まるで冷たい刃物で体をまっ二つに裂かれる思いがしました。子供達に話すなど、とてもそのような勇気はありませんでした。我が家は幸いにも信仰をしておりますので、一お父さんが早くよくなるようみんなで祈ろうね」。というのが精一杯でした。事の重大さに気づいた主人は、四人の子供達のこと、まだやり遂げなければならない事を思うと今死ぬわけにはいかないとの強い生命力のもと手術も大成功し、入院から三カ月余りで、不可能と言われた職場復帰もすることができました。入院中の新聞配達は長男と長女がお年玉をはたいて自転車を買い自分達で配達を引き受けてくれました。二月の寒い朝、起こすのがかわいそうで何度、もう配達をやめようと思ったことか。しかし、どんなに寒くても子供達は自分から一やめたい」などと一言も言いませんでした。むしろ、お父さんの代わりに自分達が頑張ろうという思いが、ひしひしと感じてきました。私が運転免許を取ろうと決めたのもその時でした。夜中、私が病院から帰ってくると、当時、中学二年の長女が洗濯物をたたんだり、干したりしているのです。私は、びっくりしてもう寝なさい」と言うと一お母さんこそ寝ないと体をこわすよ」と言ってくれたのです。主人の病気をきっかけに我が子の成長を確認でき、うれしく思いました。ある日のことです。主人と私の意見が合わず、主人を怒らせてしまいました。そこへ高校一年の長男が帰って来ました。家の雰囲気がいつもと違う事に気づいて一お父さん怒っているの」と聞きました。ちよっとねと私は気まずそうに答えました。家に帰ってもおもしろくないな」ともらした言に私はハッとしました。登校拒否、家庭内暴力、非行などと、ニュースで他人事のように聞いていた出来事が長男の一言に全て含まれているように思いました。これは決して子供の事件ではない。子供を育む親達の問題なんだとストレートに心に入ってきました。家庭がしっかりしていれば学校でいやな事があってもきっと乗り越えられる。家がほのぼのとしていれば非行に走る道をきっと止ることができる。要するに私達親に原因があるのではと強く思いました。さて、去った六月、母は永遠に幸の灯台」というテーマのもとに婦人の方、数名と小単位に懇談をもつ機会がありました。雨が降ろうが嵐が来ようが、常に海を照らし続ける灯台。この一筋の光さえあれば、無事に船は岸に着く事ができます。家庭といえども複数の人間の集まりです。いつ何があるか分かりません。病気、事故、いがみ合い、その時に母である私達が、どうすれば幸の灯台の光となり、家庭を照らしていけるのか、活発な意見がありました。その中で、私の人生の師と仰ぐ哲学者、池田大作氏がアメリカの女性作家エレナ・ポーターの名作少女パレアナ」の本を通し話した事が話題となりました。日本でもテレビアニメ「愛少女ポリアンナ物語」として放映されました。皆さんの中にも子供と一緒にご覧になった方がいらっしゃると思います。どのようないやな事があっても喜びに変えていったポリアンナ人の少女の力で周囲を変え、やがて町中が生まれ変わっていったのである。そういうポリアンナの姿を通し、とかくグチの多い私達女性にとって、ポリアンナのように物事を良い方向へ民い方向へと見方を変えていけば、きっと良き母、良き妻となり、いい子育てができ、やがて一家の幸の灯台となっていけるのではないだろうか。という結論に至りました。しかし、頭でわかっていても、いざ実行となると大変な精神力が要求されます。事実私も、その後、まずは一日でもと思い実行しました。ある日のこと、夕方出先から婦ってくると、洗濯物は干されっぱなし、玄関の靴は無ぞうさに散らばっていました。頭にカーッときたものの、ポリアンナ、ポリアンナと心に言い聞かせ、一呼吸ついたものの顔を見るなり一自分達の靴ぐらい片づけられないの」とどなってしまいました。自分のいない間留守をしてくれたのだから「お留守番ありがとう。靴はちゃんと並べてね」と、どうして言えなかったのかと後悔しました。ポリアンナ作戦は容易な事ではありません。しかし、それ以来私は決めました。ポリアンナを目指し少しずつ努力していこうと。これはとても大事なことだと思ったからです。世界、日本、沖縄、大里村といえども、結局は一家庭、家庭の集まりです。その家庭が、まずどうであるのか。それで決まってくるのではないでしょうか。その家庭の母体である私達母親が一家の太陽となり、灯台となり、あの家庭でもこの家庭でも、すばらしい一筋の光がさし始めた時、すばらしい地域社会へ変わっていくのではないでしようか。運命協同体の船に乗せられ、嵐にもまれ、打ちひしがれ途方にくれた我が家も今、春を迎え、音をたてて希望の方向へ進み始めました。今思えばあの時、物事を前向きにとらえ、決して落胆せず頑張ってきた。私は一筋の灯台となりえたと確信します。ポリアンナには、まだまだ程遠いですが私は、この生き方を路線として、よい方向へよい方向へと物事を見、自分は自分らしく自信をもって生きることが大切だと思います。皆さん、二十一世紀を担う子供達、すべては母親の心構えいかんで決まってくるのではないでしようか。それぞれの夢に向かって大きく羽ばたいていけるよう大きな翼を私達の手で育んでいこうではありませんか。

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大分類 テキスト
資料コード 008461
内容コード G000000971-0008
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第139号
ページ 6-7
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1990/09/07
公開日 2026/03/27