なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

文化財を初指定 チチン井、古堅ミーミンメーなど三件

本村では有史以来初めての文化財村指定が、去る三月十五日告示され、チチン井、当間獅子舞、古堅ミーミンメーなど三件が村指定の文化財となり、保護継承されることになりました。村教育委員会では、昭和六十一年に文化財保護条例制定以来、本村に存在する文化遺産の村指定に向けて文化財保護審議会を中心に調査研究を進めており、平成二年度は字南風原にある食榮森獄を指定する予定。残る二十件余の文化遺産についても精力的に取り組んで行く予定です。

チチン井
一、種別 建造物
二、名称 チチン井
三、所在地 大里村字大里五七七
四、所有者 嘉数西太郎 宮城盛徳

構造及び形状
チチン井は、大里按司が使用していたと言われる古泉井である。構造は自然の地形を利用し、石灰岩で囲い込むように造られている泉井へ降りる石段等は昔のまま殆ど残っている。また、泉井の回りの石垣も殆ど残っていて構造及び形状等からみても十分価値がある。

由緒及び沿革
チチン井は、大里村字西原部落の大里城跡の入口付近にあり、建造年代は定かでないが大里城との関係で十四世紀頃と推定され大里按司が建造したものと言われている。大里城のウブガーと言われている古井戸が水枯れしたために造られたものとも伝えられている。チチン井の名の言い伝えは城壁との関係でつけられたものとされ、城壁を拡大して泉井を囲むと水枯れし、城外に外すと清水が湧き出たとされることから、城内に囲むことの出来ない「チチマランカー」と言われ、現在の「チチン井」の名のいわれがある。この泉井には、時々鰻が泳いでいるのが見受けられたと言われ神鰻として愛護されたという。また上水道が未だ普及しない以前は部落唯一の共同泉井として多くの区民に利用され現在もなお清水が湧きでている。

当間の獅子舞
一、種別 無形文化財
二、名称 獅子舞
三、所在地 大里村字仲間
四、所有者 当間区長

当該無形文化財の説明
獅子は百獣の王であるとか、霊獣として考えられていることから、その威力をあがめ、尊厳なるものと信じ、獅子を舞わせることによってあらゆる災厄や悪需が祓われると言われている。当間の獅子舞は、旧暦七月十七日(ヌーバレー)と八月十五日(十五夜)の年二回行われている。ヌーバレーはお盆でご先祖を送った喜びを区民一同で味わうと同時に、悪風を追い祓うという意味で公民館で演じられる。また、八月十五日(十五夜)の獅子舞は村芝居として発展していった行事である。獅子舞の演技の特徴は、豊富な芸種(チチイジャシ、スバトウンジ、ウーマーイ、ユチー、シラングイ、カクジスンチ等)とこまやかな芸、足運びの動作にあり、村内でも代表的な獅子舞である。
由緒及び沿革
獅子像の威力はもともと精気返し、悪魔除けであったのが、今は農作物の保護神ともなり、火災除け、疫病退治の神とも言われている。獅子舞は部落の祭祓のときに行われ、獅子の神はなかなか勇壮快活で遊びが非常に好きだとして、三味線、鐘、太鼓をならして若者が面をかぶり、獅子に扮して踊り跳ねるが、本来は娯楽一と言うより祭儀である。以上のようなことから、当間の獅子舞」は区の伝統行事として長く受け継がれ、今日まで伝統を保持し後継者育成にも力を注いでいる。よって今後とも無形文化財として大事に保存・継承する必要がある。

古堅のミーミメー
一、種別 無形文化財
二、名称 古堅のミーミンメー
三、所在地 大里村字古堅
四、保持者 古堅区長

当該文化財の説明
古堅のミーミンメー(豊年祭)は、旧暦の四月一日に公民館を中心に数ヶ所で催される。当初、ミーミンメーはアラバタアラシー(荒畑競争)、スリチラーアラシー(芭蕉布競争)と呼ばれていた。アラバタアラシーは部落の遊毛の下に三十坪位の畑があった。そこでいく組かに分け、どの組が先に耕すかという勝負をさせ、勝ったものに酒をふるまう行事であったという。そして、その頃は夏物の衣類を出す頃でもあり、婦人達は夫達の着けている着物の綾の出来上がり具合で腕を競いあったことからスリチラーアラシー等と呼ばれ発展していった行事が現在ではミーミンメーと呼ばれている。戦後まもなく子孫繁栄、古堅の神々に感謝をする意味合いでミルクを作り直し、踊りを中心に、棒術も演じられて現在まで伝承されている。ミーミンメーの特徴はミルクを中心に、ウフティラから始まり、お宮 公民館イリジョウーのアシビナーウマイーグワーの順に行事(道ジュネー)が進んでいくことである。こうして古堅のミーミンメーのお祭りは村内唯一の伝統行事として毎年行われ伝承されている。

由緒及び沿革
古堅ミーミンメー(豊年祭)は、畑仕事を終えての互いの慰労会みたいなものから始まり、現在の子孫繁栄の意味合いをもつものへと変化してきたものと言われている。いつの時代、何人によって伝承されたか不明であるが、関係者の言い伝えからおよそ一五五年前(一八三四年)の頃から始まったものではないかと推定される。このお祭りは、首里赤田のスンドゥンチのミーミンメーを見た古堅部落の人が真似て自分の部落のものとして仕立てたと伝承されている。首里の汀志良町に間得大君御殿」があって沖縄固有の最高神職(尚真王の妹)といわれ、その下に儀保殿内(北山系)、赤田首里殿内(中山系)、首里真和志の真壁殿内(南山系)があり、各村にはノロを置いて各々それを支配していた。赤田首里殿内にだけ七月十六日弥勒御祭があった。この赤田首里殿内の弥勒祭りを真似たものと伝えられている。

ダウンロード https://drive.google.com/file/d/1zPFj0gDWaldlK0Zfbb5kSw24MZNmm4cH/view?usp=drive_link
大分類 テキスト
資料コード 008461
内容コード G000000967-0002
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第135号
ページ 2-3
年代区分 1990年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1990/05/01
公開日 2026/03/27