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「水の作文」優秀作品 『わが家と水』 大里中一年 平良学

降水量が少なくなり、日々に水事情が悪くなってきて、とうとう隔日断水になった。各家庭では、水の出る日は、朝早くから洗濯が始まり、翌日の食事の準備や水洗トイレ、おふろの水の確保などと、その気づかいも大変だ。僕の家でも、水の出ない日は、カレーやンチューのような煮こみ料理をするなど、母は食事の工夫で頭を痛めている。断水になってから学校給食の食器も紙皿に変わってきた。献立も、かなりの変更があるので給食時間も味気ないし、これまでのように楽しく感じられない。水不足からくる問題は学校生活にも影響をおよぼして、本当に多くの人々に不自由な生活をさせている。僕の家では雨量が少ない時期になると、いつもより父の帰りが遅くなる。「ただいま。」と、声にも元気がなく、いかにも疲れた表情で家に入ってくる。僕の父は植栽工事や公園工事などの仕事に従事している。水と最もかかわりのある仕事であるので断水は深刻な問題のようである。夕食を終えて父は水不足の苦労話をしてくれた。「断水になるとね。タンクローリーに入れる水を求めて、あちこち探して歩くんだよ。小さな川に出会うとうれしい気持ちになるよ。山あいの湧水が見つかれば最高だが、沖縄の土壌は、保水能力が少ないから大雨が降っても、すぐ海に流れてしまう。実にもったいないことだね。」そんな話をする父の顔は表情もかたくて、いつもの明るい父と違う。僕達の知らない所で、苦労が色々あるんだなと思うと、断水は本当に他人ごとではない。今まで父の仕事を理解していなかった自分がはずかしかった。水のことになると父は身をのりだすようにして話を続ける。「小さな川で、少しでもタンクローリーに水がもらえると、お父さん達は、この小さな川に"ありがとう"と言って頭を下げて来るんだよ。…」そんな話をする父の目は、うるんでいるような気がした。父の仕事にとって水は神様のようなものだと思う。水をかける時、いつも神に祈るような感謝の気持ちになると言う。水を求めてかけまわり、植栽した木が枯れないように常に木の状熊を見て水をかけて歩く父の姿が目に浮んだ。しおれかけた木が水をかけると生き生きとして元気になるとあの水、おいしかったかい。」と、木に話しかけるそうだ。水には何か神秘的な要素があると思った。命ある生き物は、すべてこの水から生まれ水を必要としている。父の植栽した木も水を得て元気に青空に立つ。スポーツの後の、喉のかわきに飲む冷たい水のおいしさは、何とも言えない。どんな飲み物も冷たい水には、かなわない。もしこんな水がなくなったらどうなるだろう。それを考えると、ふだんから水はもっと皆で大切に使わなければならないと改めて思った。わが家は、母も節水を心がけている。歯をみがいている間、つい水をチョロチヨ口流していると「ほら又この水は一度流れたら二度と使えないのよ。」と注意する。母は断水になるずっと前からトイレにコーラびんを二本入れて水の調整をしたり、おふろの残り水は洗濯に使用し、残ると庭の草木にバケツで運んでいる。水を大切にする両親を見ているから兄弟も水をむだに使うことはしないし、また使わないように心がけている。学校で水道の蛇口を大きく開いて水を使っているのを見ると注意をするが真剣に受けとめない人がいて、さびしい思いをする。学級でも一滴の水のありがたさについて話し合い節水の大事なことをみんなで確認したい。沖縄の美しい島々もハイビスカスやブーゲンビリアの花の色も水あってこそ、よりきれいに見えるし、父の植栽の仕事もスムーズに行くのだ。雨の降るのを心から待ち望みながら、一滴の水も大切に使おうと決心した。

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大分類 テキスト
資料コード 008461
内容コード G000000958-0017
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第126号
ページ 9
年代区分 1980年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1989/07/01
公開日 2026/03/27