~今も残る戦争の傷跡~
大里南小学校近くの畑で発見された米国製二百五十キロ爆弾の撤去作業が八月二十五日午後二時五十二分から行われ,午後三時二十二分,無事信管を抜き取って終了した。復帰後村内で二百五十キロ爆弾の大型不発弾が撤去されるのは,昭和六十年五月にグリーンタウン第三公園の南側の原野での撤去作業以来二度目で今なお戦争の傷跡が深く残っている。
この撤去作業に伴って現場から半径七百メートル以内のグリーンタウン,高宮城,仲程,平川と稲嶺の部七百八十八世帯・三千一百人の住民が避難の対象となったが,この日老人ゲートボール大会や事前連絡が行き届いていたため,留守宅が多く役場職員の誘導で指定された場所へ避難したのは百人位で混乱はなかった。
大中体育館に避難した若い保母さんは「母が戦争体験者なので,戦争の悲惨さはよく聞かされたが,戦争が終って四十二年経っても今だに戦争の傷跡が残って恐しい」と顔を曇らせていました。また平川公民館に避難した老人は爆弾騒ぎにうんざりした様子で「国の責任でもって沖縄全土の磁気探査を行い不発弾問題を解してもらいたい」と怒りをあらわにしていました。
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1H2C0m9-Bo37hBPOYUbZI_qRXQSdGmiU3/view?usp=drive_link |
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008460 |
| 内容コード | G000000941-0016 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第109号 |
| ページ | 11 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1987/10/01 |
| 公開日 | 2026/03/27 |