去る六月三日から六日までの日程で行われた村農業委員会の視察研修報告の今回は、大分県玖珠町農協の"吉四六漬"の生まれた背景について述べてみましょう。
全国に先駆ける
大分県は、過疎対策として、全県的に一村一品運動が取り組みされています。
最初は、「自分達の郡の、自分達の町の、村の代表となるような、顔になるような産物を作ろうじゃないかそうすれば若者が働くようになり、うまくいくと日本を代表するような企業に育つんではないか」と一つの願いをこめて、一村一品運動が始った訳です。
その中において玖珠町は全国、大分県のどこの市町村よりも先に、一村一品運動に取り組みした町であり五十三年四月より、取り組みがされました。
しかし、玖珠町が取り組んだのは直接の一村一品渾動ではなく、水田再編、減反政策であり、そこから加工事業が始まりました。
野菜作りが発端
玖珠町は昔から、米と牛が盛んな町でひところは米十五万俵、牛が六千頭もいました。三百町歩の減反が実施されるにあたり、米以上の収益をあげるため、野菜作りを始めることになりました。
しかし、野菜も思った価格では売れないという不安定な要素をもっており、そこで安定させるための対策を見つけなければならないまた、不安定では農家も安心して野菜作りができない等問題点があり、農協が"受けざら"になり、よい物(高い物)は青果で出荷し、価格か暴落したときは、農協が全部引き受けるという野菜農家の受けざら作りから玖珠町農協の加工事業が始まった訳です。
市場には全部は出荷できない。農家が作った物は全部お金にしようじゃないか……。ということが玖珠町の一村一品運動の柱となり"吉四六漬"が生まれ、代表商品として評価されるようになりました。
二足わらじの野菜栽培
昭和五十三年からの売上げは、五十三年-一億八千万円・五十四年-二億八千万円・五十五年-三億八千万円と毎年一億円の売上げを伸しており、六十年の決算では七億八千七百万円となっています。
原料は、三千トン必要とするが、その内、町内生産物八十%、町外が二十%を占め、曲りくねった物まで買っています。現在、市場では一kg当り百二十~百三十円で売られており、まっすぐで良い物は市場へ、曲った物は農協の工場にもってくる。暴落したときのボーダーラインは八十円である。八十円になったら市場に出すな。手数料、運賃、箱代、選別賃を合わせると四十~五十円の諸経費がかかり、手取りは四十円にしかならない。農協に出せば選別賃も経費もなく四十円で買うことになっている。
"農家は、高いときは青果として市場に出荷し、安いときは農協の加工場にもってくる"という都合のよい"二足わらじ"で野菜栽培をやっています。
しかし、値段が高くなると原料が品薄となるため、宮崎や熊本県、四国から四十円より安いキュウリを買ってくる。国内にないときは中国や台湾、オーストラリアなど外国までも原料を買いに行くという。
農家に支払っている原料代は一億五~六千万円にもなり、昨年のキュウリの売り上げは、十アール当り平均七十五万円である。中には百万円をこす農家が何件もあり、百四十~百五十万円の農家もいます。ただ欠点としては収量が十アール当り六トンであることで、最低八~九トンの収量をあげなければならないことでしよう。
普通の農協は値段が安いと作るなという。売れないという。これでは安心した野菜作りはできません。玖珠町農協管内では、高くても安くても農家は一銭も損をしないようになっており他の農協と一味違う面があります。"地元の農家が原料を作り、地元の人がそこで働き、よい物を作って県外に出し、県外のお金を地元にもってくる"という一村一品運動の理想的な型になっています。
現況
-工場には従業員が百人(常用六十人、パートで四十人)います。一日当り三千五百円の日給で、月七~八万円の給料、年一回のボーナスと保険もかけられています。
昭和五十五年には第二T場が設置され、現在、正組合員が二千八百人、準組合員が三千三百人おり、キュウリの生産農家は七百戸である。商品の販売先は、大分が四十%、宮崎四十%、福岡が二十%で沖縄にも少し入っています。
販売方法が一番難しい
-どのように売るかが非常に難しい問題である。物を作ることは、なんとかできるが換金方法(販売)が難しい。
商品の条件
-①まず初めにおいしいこと。食べておいしいことが一番の条件である。
②自然のものか。添加物は何か。健康に問題はないか
③デザインはどうか。-など、このような条件を検討しなから長い年月をかけ苦労して、やっとよい商品ができる訳です。
企業農業としての野菜団地
鶴崎地区の野菜団地は、十年前に構造改善事業で作られた施設で、構成員は六人、水耕栽培である。
経営は、ハウス二十九棟(半分はガラス)オオバ一人、ミツバ三人、トマト一人、ネギ一人で、オオバを栽培している農家は、一町三反(約三千九百坪)作付し、年商一億三千五百万円の売り上げをしている。
経営の方法は、年中約四十人のパート従業員がおり植付けから収穫まで、パートの者が責任をもって行う請負制がとられ、三分のは経営者、残りは経費とパート従業員の収入となる味違う経営方式がとられ企業農業として成功しています。
村で一つの事業を新たに興こすことは、大変難しいことと思いますが、実際に成功している玖珠町の事例を参考とし、村農業をどのように振興させるか真剣に検討してみる必要があると思います。
沖縄には、よい漬物がないので開発し、観光客に沖縄みやげとしてもたすことも一つの方法であり、「県や村でも是非考えなければならないことで、吉四六漬のように原料の確保、工場の建設等みんなで考えるべきでしょう。」と委員のみなさんは述べていました。
(おわり)
| ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1tbKNuMWAmFi1lvvMVi4cbNNQy-jRjUgj/view?usp=drive_link |
|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008460 |
| 内容コード | G000000930-0002 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第98号 |
| ページ | 2-3 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1986/09/01 |
| 公開日 | 2026/03/27 |