なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

わがむら①

我がむら大里村は、その名の示すように、島尻第二の大村で大正初期の人口は一万五千人を数えていた。
大里の地名は古くから史上にあらわれ、阿蒲察度あるいは、務布察度と記されている。三山時代(一三一四~一四二九年、鎌倉幕府の亡-一三三二年、金閣寺建立-一三九七年、ルネサス-一三一三年、百年戦争-一三三八年)には「島添大里間切」と称し、島尻大里間切(現在の糸満市字大里)と区別しており、島添とは「おそひ」とよみ、島々を支配する意味です。
我が大里間切は、もともと25村であったが、元文二年(一七三七年・享保の大ききん-一七三二年、モンテスキューの法の精神-七四八年、産業革命-一七六二年)の時に新里、小谷、津波古を佐敷間切に、神里を南風原間切に出し、与那覇と宮城を南風原間切から稲嶺、大城、目取真を玉城間切から入れて、こえて明治三十六年(一九〇三年・日英同盟-一九〇二年、ライト兄弟が飛行機を作る-九〇三年、日露戦争-一九〇四年)の土地整理の完了とともに字制に移行している。
昭和二十四年四月一日を期して、与那原町が分離しそれに伴い、大里村の人口は七、一三七人の純農村になっている。我が村は戦前から県下屈指のさとうきびどころで知られ、現在も耕地面積の67%近く占めており畜産や野菜、花卉栽培も盛んである。
土地利用状況(60年)
農用地 728ha 59.6%
森林・原野 214 17.5
道路 826.7
宅地 947.7
その他 104 8.5
     1,222ha (100%)

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大分類 テキスト
資料コード 008460
内容コード G000000928-0005
資料群 旧大里村広報
資料グループ 広報おおざと 第96号
ページ 5
年代区分 1980年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1986/07/01
公開日