一、発祥
玉城村からきた大城大主は、島中と称していた。(この人が村立てしたのではないか)
南島風土記に「大城、稲嶺、目取真は、玉城間切の一部であったが、元文二年の改正で大里間切に入れたとあって、もとは玉城村の一部であったことがわかる。
部落の後方に、大城城跡がある。おもろに「おほぐすくおわる。世かけにせあぢ」と、うたわれた有力者大城按司の居城であったが今は石垣もなく荒野原となっている。
二、伝説
大城大軍。これは組踊の「大城崩」のあらすじである。大城部落では、戦前戦後と幾回となく字芝居で上演し大好評を博した。崩では縁起が悪ためか「大軍」に改めてある。
大里、大城両城の伝説を劇化したものであろう。
大里按司は、大城城を攻めて大城按司を殺し、その財宝を奪いとった。大城の若按司は逃げて、守役の外間の子によってかくまわれ敵討の機会をうかがっていた。
佐敷城の鮫川按司(尚巴志王の祖父)が、大里按司征討の軍を起こしたので、これに加わり親の敵を討った。ところが、大里按司の子、虎千代、金松の二人が母と乳母に連れやれて、中城荻堂に隠れているのを外間の子が行ってからめ捕ってきた。大城の若按司と外間の子は、二人を馬天浜に引き出して打首にしようとした。すると母すなわち大里按司の女按司がいろいろ助命を乞うた。若按司は、「それでは、兄を殺し弟を助けてやろう。」と言った。すると、女按司が「実は自分は後妻で虎千代は継子である。虎千代を殺させては死んだ夫に申し訳ない。実子の金松を殺してくれ」という。虎千代はまた「自分は兄だから自分が死ぬのが順序だ」と争う。大城の若按可は、女按司と虎千代の真情に感動し、兄弟二人の命を助けてやったという。
(沖繩風土記全集より)
この民話、伝説は59年の大里中学校三年一組の生徒がまとめたものです。
さしえ:東恩納寛朝先生(大里中学校)
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|---|---|
| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008460 |
| 内容コード | G000000922-0011 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第90号 |
| ページ | 7 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1985/11/01 |
| 公開日 | ー |