六月十七日は父の日。
わが家では、取りたてて何もしなかったけれど、私の脳裏に、ふと有りし日の父の顔が浮んできた。
私の父は、私が中学三年の頃、病気で亡くなった。
子ども達が、悪い事をすれば厳しく叱るが、子ども達の希望、要望があれば最大限に聞いてあげる、ごく普通の平凡な、あの当時の平均的な父親だった。
しかし、一つだけ私たち子どもが誇れることがあった。それは、運動会や遠足の日が近づくと、私たち兄弟(姉妹)を交互に、自転車に乗せ、クツを買ったり、散髪に連れて行った。
又、いろんな催し物にも替り番こに連れて行った。
私が小学低学年の頃まで毎回のように、与那原の大網曳き、ハーリーにも連れていってくれた。
大きな綿アメやアイスボンボンを買ってもらったりハーリーや網曳きが、人垣で見えないと、肩車をしてもらったりした。
更に、職場の当番の時なども、私達を替り番こに連れて行ったものである。
現在、言われている親子の断絶、父権の失墜等有り得ようはずがなかった。
私の父は、大柄でヌーボーとしていて、小さな事にコセコセしないで、寛大であった。
子どもの成長のためにはどんな苦労も喜んでする父であった。
私たちが夢や希望を話すと、自分のことのように聞いてくれる父親であった。
高校進学の時、父と語り合いながら育ててきた私の夢が消えていった。
今、私は仕事、子育てに追われ、忙しさに紛れて夫の父親に大したこともやれないが、自分の父に孝行出来なかった分まで尽くしていきたいと思う。
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| 大分類 | テキスト |
| 資料コード | 008460 |
| 内容コード | G000000908-0010 |
| 資料群 | 旧大里村広報 |
| 資料グループ | 広報おおざと 第76号 |
| ページ | 6 |
| 年代区分 | 1980年代 |
| キーワード | 役所・役場行政広報 |
| 場所 | 大里 |
| 発行年月日 | 1984/06/30 |
| 公開日 | ー |