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市町村合併12月メド 与那原・大里 佐敷・知念 ブロック

大里村与那原町佐敷村知念村の合併問題?

沖縄の七二年復帰を目前に控え、市町村の体制づくりの一環として、町村合俳が強くさけばれているが、大里村議会(宮城武雄議長)では、五月十四日午前十時から村役所会議室に於て第三十回臨時議会を開き、村長から提案された与那原町、大里村、佐敷村、知念村、の四町村合併促進協議会規約を審議しだ結果全会一致で決議された。これで四町村の合併は正式に話し合いがもたれることになる。
合併促進協議会規約第六条の規定により、十三人の委員が選出れました。第六条委員は次の者かもってこれに充てる。
一、関係町村の議会の議長及び副議長
二、関係町村の議会の選任した議員三人
三、関係町村の長及び助役
四、関係町村長がその協議により定めた関係町村の職員各三人
五、関係町村の区教育委員会の選任した教育委員一人
六、関係町村の区域内の公共的団体等の役員及び職員並びに学識経験者で関係町村長がその協議により定めた者二人
委員の顔ぶれ次のとおり宮城武雄(議長)
大城繁雄(副議長)
知念敏雄(議員)
金城武雄(議員)
上原酒光(議員)
大城湧孝(村長)
知念茂(助役)
高良名輝(庶務課長)
比嘉武(工務課長)
城閣将育(産業課長)
瑞慶覧長方(教育委員)
仲皿雄勝(村組合長) 
上原健明(学識経験者) 
四ヶ町村の促進協議会の初会合を五月二十六日に、与那原町農協ホールで開き運営規則を決めるほか、総務財政、建設、産業経済、文教厚生委員会を設置、具体的な合併作業にとりかかる。こんどの促進協の誕生で、四町村の合併問題は大幅に前進したことになり、今後のとり組みいかんによっては、当初予定の十一月合併も可能となる。
何故市町村合併が必要だといわれているでしょうか
一、「皆さんが住んでいる市町村の地域は殆ど七八十年前の間切時代の区域と同じものです。
当時は道路も悪くバスは勿論自転車さえなかった灯汕やハダシの時代ですから何処にゆくにも歩くか馬を利用するほかなかったのです。電話やラジオがあったわけではなく新聞もいきわたらず郵便でも今日とは全く違って不便でしたので昔の役場の仕事をするにはほどよい大きさだったのです。
所が今日では飛行機や船、自動車等の交通機間、また電信電話電気等の文化が発達して昔の一里は今日の屈唯にあたるか見当がつかないほどです。
皆さんもご存じのように沖縄から飛行機で東京まで四時間近くもかかったのが
僅か四、五年のうちに一時間五十分に短縮されています。
皆さんの町や村も道路や航空路の整備をみると僅か数十分で那覇にゆけることになりましよう。このように払共の経済、社会生活は、日に日に進歩し変って行くのです。
そして又戦前は同事によらず政府や県庁の指図ひとつによって動いてきた市町村の制度も大巾に改められ、住民が自分の市町村は自分の力で興すというたて前に改められたのです。いいかえれば自分たちの村のことは自分たち村民でやってゆくという民主主義の制度が確立されたのであります。
すなわち皆さんの村は皆さんが選んだ市町村長と議員か一切のことをきめ、処理することになっているのです。そしてこれらの費用は当然市町村で賄わなければならなくなっています。これまでは、時代の進展に遅れながらも昔ながらの小さい市町村でどうにかこうにかやってきたのですが今では市町村でやらなければならない仕事か非常に多くなり責任も重くそのため役所職員がふえて人件費が嵩み、また議員の仕事もふえて経費がかかるなど町村財政は苦しい状態におかれております。
そして小さい町村は町村という名前だけで町村らしい仕事、つまり皆さん住民の幸せになるような仕事が充分にできない苦しい財政実情にあるわけです。
これに反し那覇市のような大きな市町村では自分で道路をなおしたり、市営住宅を建て住家に困っている人のための仕事をしたり、福祉長家。子供の遊び場等の福祉施設を造ったり、上水道を引いたり、運送事業をしたり、住民の幸せになる仕事をしてどんどん発展してまいります。このため大きい町村と小さい町村の住民のためになる施設や財政力の開きは益々大きくなるばかりです。
そこでこの際真剣に市町村合併の問題を考えないわけにはいかなくなったのです。
皆さんは日本本土の各地で昭和二十八年から大規模の市町村合併が行われ、当時約九千六百を数えた町村は現在では約三、五四五となって、五、五〇〇余の町村が減少し、これにより約二、〇〇〇の新しい市町村が誕生したこと、又合併後の新市町村では住民の幸福を増進するためその区域の実情に合せて郷土の発展のための色々な事業か行われ、すばらしい効果を挙げていることを新聞雑誌等ですでに御存知のことでしょう。資源も乏しく財政的にも恵まれていない沖縄の市町村は市町村で調達できる自己の財源では役所の人件費を賄うのに精一ぱいといったところが多く、住民がより幸せになるための仕事にはとても手が廻らないのが実情です。
私たちは本土の市町村合併を見習うまでもなく、自らの生活を向上させ豊かな暮しができるようにするため一人一人が自分自身の問題とし力を合せて合併を進めてゆかなければなりません。
二、「皆さんの町や村はすでに教育文化面においてはもとより交通、電信電話電気その他公共事業は隣りの町で村と一体化され、日常生活においても市町村の境界をこえていろいろのことがなされている状況であります。」
経済文化や交通機関の発達している今日ではいまの小さい町村ではせま過ぎるようになったということです。
社会経済文化の発展は一日も止ることがありません。その発展に取り残されないようにするために皆さんの町や村も一日も早く合併して盛り上る全体の力で総合発展の基礎を築き郷土の振興を図るよい時期ではないでしょうか。
市町村合併を妨げている理由は何か
「市町村合併をした結果かよいことはすでに合併した市町村の実績でよくわかっている筈ですが、何故それにもかかわらず市町村合併が遅々として進まないのか、また困難なのか、その理由について日本本土の合併体験によると、」
永い間封建的政治の下にあった市町村住民は新しい地方分権的民主政治についての認識が充分でなくその上、町村的政党政派の対立が伝統的に残っていることなどから理由なしに反対のための反対をする傾き、「即ち、彼等がやるならわれらは反対だといったような感情による反対か合併を妨げた大きな原因のようです。」又大きい町村と、小さい町村は大きい町村に合併後圧迫される恐れがあるとか、小さい村は大きい村に比べて税の負担が多くなるとの考え方から合併に反対している者もあります。また合併すれば村長や町長或は議員にもなれないといった理由から合併を喜ばない人々もあります。
合併ということは、大町村に小町村が吸収または編入されることだとのひくつ感からも合併はいやだという者もあります。町と村か合併したなら町の商人たちによろしく勢力を占められて村は損をするだろうといっだ理由で反対する者もあります。一番困ることは時期尚早論でありまして、この時期尚早という言葉はその裏に不純な理由が種々かくされていまして正直にそうした理由が発表されていない場合はこの言葉を使って反対を表すことか智恵者のやり方だと思われるからだと考えます。次期の村長をしようともくろんでいた人が、合併されると村長になれないと思っていながら正直にこのことを反対理由として発表できる人はないといってさしつかえないでしょう。
そこで、時期尚早という言葉で反対しても恥かしくない理由として人々が受けることを知ってこの言葉を持ち出して反対したいということになります。
また助役になりたい収入役になりたい、議員になりたいためにもこの言葉が利用され、まことに便利な言葉となっています。
次に町村内に極めて一部ではあるが知識人がいて何亊によらず町村のことに干渉して村内に問題を起している場合がありますが、そうした騒動屋といわれる人々のおる市町村とは合併しようと希望するところがない。正しい民主政治を伸すための騒動ならいいが、そういう人々に限り権利は主張するが義務は負わないという利己主義者である場合が多いのです。
次に一番困難なことは、地理的環境から隣接町村に合併することを賛成しているのに拘らずその町村議会がこれを許さない場合がまゝあります。その部落は誰がみてもそうした方が住民のために便利であるということが認められているのですか、議会に、その部落から一人か二人の議員がでているにすぎないので議決してもらえねといった事情、町村としてはその部落を失うと財政的に弱体化されるという理由などから、そのことに反対するということなどです。
また同じく地理的環境から合併しようとする町村の一部はA町村に、他の一部はB町村に合併した方が便利だという場合も非常に多いことです。
以上は本土の合併体験ですか皆さんの市町村にはこのような昔ながらの殼に閉じこもっている政治家や村民は一人もいないことを信じています。

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大分類 テキスト
資料コード 008459
内容コード G000000841-0004
資料群 旧大里村広報
資料グループ 役所便り大里村 第4号
ページ 2
年代区分 1970年代
キーワード 役所・役場行政広報
場所 大里
発行年月日 1971/07/20
公開日