苗代大比屋屋敷跡周辺が支城であると推測されるのは、試掘調査で確認された「貼石状石列」からだけではなく、佐敷内における軍事的緊張を示す伝承があげられます。それは知名グスクの按司との戦いであり、これは佐敷上グスクの東側において軍事的緊張があったことをしめしています。
尚巴志らは、軍事防御ラインを佐敷上グスクにおくのではなく、苗代大比屋屋敷跡周辺におくことで、統治機関である佐敷上グスクをすぐに攻められないようにするとともに、貿易船の安全な航路確保に努めたのかもしれません。
以上の内容は、苗代大比屋屋敷跡周辺の試掘箇所が3カ所しかないことから、断定はできません。しかし、さらに埋蔵文化財調査を進めていくことで、文献や伝承以外から見える新たな尚思紹・尚巴志の活躍ぶりが復元できることでしょう。
佐敷の歴史ロマンはまだまだふたを開けたばかりです。
ダウンロード | https://drive.google.com/file/d/1q9Ca-O8L2BjI_dpmHWH7SwDei2zngVsr/view?usp=drive_link |
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大分類 | テキスト |
資料コード | 008457 |
内容コード | G000000819-0042 |
資料群 | 旧佐敷町(佐敷村)広報 |
資料グループ | 広報さしき 第331号(2005年2月) |
ページ | 16 |
年代区分 | 2000年代 |
キーワード | 広報 |
場所 | 佐敷 |
発行年月日 | 2005/02/10 |
公開日 | 2025/01/20 |