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それぞれの立場で訴える 最優秀賞に二人

「第十五回佐敷町少年の主張大会」及び第31回婦人の主張大会が7月26日、シュガーホールで行われ、一次審査を通った14人の児童生徒と2人の婦人らは、普段感じていることを発表しました。
少年の部では「かけがえのない命」を発表した玉城恵利奈さん(佐中二年)、婦人の部では「女性の声で地域を健康に」を述べた玉城徳子さん(仲伊保団地)がそれぞれ最優秀賞に選ばれました。

少年の部

「かけがえのない命」
玉城 恵利奈さん
(佐敷中2年)

「うそっ、私と同じ中学生が…。」
北谷で起きた殺人事件のニュースを聞いて、私は、信じられない気持ちでいっぱいでした。
しかも、その死体を土を掘って埋めたというのです。人間の命をこんな簡単にうばっていいのでしょうか。まるで、何か物を埋めるように、人間の体を土の中にうめてしまった中学生達の行動が許せませんでした。そして、それが私と同じ沖縄県に住む中学生がやった事件ということにとても、信じられない気持ちでいっぱいでした。
今まで、こんな殺人事件なんて別の世界のようにしか思っていませんでした。それが私の身近で起こってしまったので、私の心の中に、なんだか知らない恐怖がわいてきました。
それに、その中学生達は、普段はいっしょに遊ぶ友達だったというのです。それなのに、「なぜ、どうして」私の中で、たくさんの疑問がわいてきました。その日から私は、命について、友達について前よりもいろいろ考えるようになりました。
そんな時、長崎でも、信じられない事件が起こりました。中学一年の子が四歳の男の子を誘拐して屋上から突き落として、殺害してしまったのです。たて続けにおこる、恐ろしい事件に世の中が怖くなりました。
私は、この間、職場体験学習で保育園に二日間行きました。
その時、四歳の子供達ともいっしょに遊んだのですが、あんなに小さい子を屋上から突き落とすなんて。私は四歳の男の子がとてもかわいそうで、事件を起こした中学生がなんだか、悪魔に思えてきました。その男の子は、呼んでも呼んでも二度と戻ってはきません。
なぜなら、その子の命は、世界でたった一つしかないからです。
「世界でたった一つしかない」よくよくきく言葉だけど、あらためて考えると、とてもすごい事なのです。どんな宝物にもかえられないし、どんなに世界中を周ってもこの命は、ほかに探せないのです。
もしも、命がなくなれば、友達との会話を楽しむことも、将来の夢をかなえることもできません。
そんなの嫌だ。そう考えると、命の重さがどんなに大切かが少しずつわかってきたような気がしました。そのかけがえのない命を一瞬にして奪ったあの中学生の行動は、絶対に許せません。
でも、テレビのニュースを聞いてみると、その事件を起こした中学生だけを責められないというような事を話している人がいました。`あんなに恐ろしい事を起こしたのに。私は、その人の言葉が初め信じられませんでした。
でも、いろいろ話を聞いてみると、その中学生が、事件を起こすようになったのには周囲にいる大人達や、友達関係などが大きく影響しているそうです。
そういえば、私が今読んでいる本の中にも、万引きをしてしまった子がいましたが、その子がそんな事をしてしまったのは、わけがあったのです。それを読んだ時、殺人を起こしてしまった中学生達にも、きっと何かわけがあったと思いました。
私は、こんな恐ろしい事件が二度と起こらないようにするために、どうしたらいいのだろうと真剣に考えてみました。それにはやっぱりおたがいを思いやる心が一番大切だと思いました。自分が言われて嫌な事は相手だって嫌だと思うし、自分がたたかれて痛いのは、やっぱり相手も痛いだろう。反対にだれかに優しくされたら、いい気持ちになって、自分も誰かに優しくしたくなる。そんな思いやりの気持ちを一人一人がもてば、悲しい事件は起こらなくてすむのではないでしょうか。かけがえのない命だからこそ、その命の重さを考えられるような人間になりたいと思います。そして、命の大切さについて、これからも、もっと真剣に考え、思いやりの心を広げていけるように、がんばりたいと決意しています。


婦人の部

「女性の声で地域を健康に」
玉城 徳子さん
(仲伊保団地)

「おはようございます。暑いけど今日も一日がんばろうね~」「いってらっしゃい」子供達一人一人に声をかけながら、佐敷小学校前で毎朝楽しく交通指導のボランティアをさせていただいております。「おはようございます」と元気な笑顔で挨拶を返してくれる子は良いのですが、ずーっとうつむいたまま歩いている子、顔も上げず、目も合わさず、無視して走っていく子。青白く精気の無い顔の子などを見かけると、「朝ご飯、ちゃんと食べてきたかな?」「学校でいやな事でもあったのかな?」「家を出る前に母ちゃんとけんかでもしたのかな?」などなど、他人の子供ではありますが、ついつい余計な心配をしてしまいます。
話は変わり、最近、沖縄や長崎で起きた青少年による傷害殺人事件は多くの人々に大変大きな衝撃を与えました。今思い出しても大変胸の痛い、絶対あってはならない事件です。その二つに共通ずるものは、被害者の少年に対する思いやり、いたわりのなさ。
昔から「子は親の鏡」と言われますが、現代社会のゆがみがそのまま鏡となって、子供達の心の闇の部分を映し出しているような事件だったと思います。
人に暴力を振るう子は、心の中が満たされていないからといわれますが、それでは私達母親は、いったいどうやって子供達を育てていけば良いのでしょうか?「心を満たす育て方」と言う事で、7月16日付けの聖教新聞に掲載されていた、教育相談センターの東ロ重信さんのお話の中に、乳幼児の頃から①「食欲」②「睡眠欲」③承認欲(認めて欲しい!との欲求)」を十分に満足させてあげる事の大事さをあげられています。
三歳までは「手を掛けること」
この時期はどんなに手を掛けても、掛けすぎるということはありません。親が十分にスキンシップを取ることで、子供に「安心感」がはぐくまれ、「情緒」も安定します。
逆に手を抜いた分、イライラしやすい子供になります。五歳前後には「目を掛けること」親が一緒にいるときは、必ず親の目の届く範囲に子供を置いて育てることです。「いつも自分を見てくれる。返事をしてくれる」と子供が安心して親の存在を感じられる距離です。
七歳以後は「心を掛ける事」です。「なまー、わったーわらばーたー、ぬーそーがやー?」「学校から帰ってきたら美味しいご飯をたべさせてあげよう」といつも子供のことを「心に掛ける」ようにしていれば、子供は親の愛情を感じ取り、「自分を認めてくれた」という体験をしっかり積むことが自己評価を高め、他人への思いやりの心の基礎になっていくのです。
人への思いやり、いたわりの心は、まず自分が認められたという思いがあって、生まれてくるものです。とそこには書かれてありました。
これから子育てをする方にとっても良きアドバイスになるかと思い紹介させていただきました。
子育ては、やりなおしのできない、大事な大事な仕事です。私には現在12歳、11歳、8歳になる三人の男の子がおりまずが例えば、自分の子供がもし問題行動をするようになったとして「私の子育てどこかで間違っていたみたいさ~できることなら十年前に戻ってもう一回やりなおしたいな~」っと思っても、過ぎ去った時間はもう二度と戻ってはきません。だから私は皆さんに「せっかく縁あって私達のもとに生まれてきた子供達、大事な、大事な未来の宝、自分の子供だけでなく、地域の子供もお互い助け合って大事に育てていきましょう」とお願いしたいのです。
皆さん、今一度自分の住んでいる地域の中を見渡してください。子供達を取り巻く現代社会の環境は大変複雑なものがあります。
裕福な家庭もあるかとは思いますが、多くは核家族の上、長引く不況で両親は生活のために共働き、死別・離婚による片親の世帯もいまでは珍しくありません。加えて未成年者の出産の増加、家族で協力している家庭は良しとしても、精神的に未成熟な子育ては時に育児放棄、ネグレクトなど幼児虐待へと発展する場合さえあるのです。
今こそ、私達は大人社会のゆがみから、子供達を守り育てるためにも、もっと子供達と本気で向き合う事が必要なのではないでしょうか?大事なことは「なにやってるかねー?」と目を掛けること。「元気ね~?」と声を掛ける事。たった三点なんです。中でも一番大事なのは声を掛ける事ではないかと私は思います。
最近の沖縄タイムス誌などで「親父の会」での、頼もしいお父さん達の活動が紹介されていますが、今から子育てをする若い方も、子育て真っ最中のあなたも、子育てを終えた経験豊かな人生の大先輩達も、私達女性こそ連帯をもっと密にしてみんなで手を取り合って地域の子供達ともっと関わっていこうではありませんか。私達女性が声掛け運動をすることによって、地域が健康になっていくと思うのです。
よく健全育成という言葉がつかわれますが、健全な子供って皆さんは、どんな子供を想像されますか?タバコを吸わない子、お酒を飲まない子?深夜徘徊をしない子?親や先生の言うことをよく聞く子?私は基本的に善悪の区別のつく子だと思います。何が良いことで何が悪いのか?人間として生きる上で一番大事な学ばなければならない基本的なことは本来であれば親が子に教えなければいけませんが、親が親として自覚が足りない場合があります。ここで地域のみなさんの協力が必要となってくるのです。みんなで声掛けすることで、問題行動をする子がいたとしてもある程度の軌道の修正はできると私は信じています。私自身がそうだったからです。
私の場合は自分が希望する学校へ進学させてもらえなかったことから大人への反抗が始まりました。親の望み通り地元の普通高校へ進学したものの、学校へは行ったり行かなかったり、目的もなく小銭を握りしめてはバスにのって那覇の街へ、友人とぶらぶら遊んで歩いていました。学校へ行っても教室へは入らす図書室で時間をつぶしたり、教室へ入っても途中で抜け出して遊びに行ったり、さすがに犯罪は犯しませんでしたが、両親には物心共に大変迷惑をかけました。
そんな私に声を掛けてきたお姉さん達がいました。最初は「元気?」って何気ないあいさつから、そして少しずつ「とくこちゃん、人間なんのために生まれたんだと思う?」「幸せになるためなんだよ」「今勉強がんばるのは、人間が人間らしく生きるために必要な知識や知恵を学んでいるんだよ。世界中には教育を受けられなくて大変な思いで生活している人達がたくさんいるんだ」「すべては原因と結果なんだよ、10年後、20年後のあなた自身の幸福のために今やらなければならない事がたくさんあると思うよ。一緒にがんばろう」などなどお説教するんじゃなくて、本当に語りかけるように、いろいろなことを話してくださいました。そして、素晴らしい人生の師匠との出会い。
それから私は少しずつ変わっていきました。何の目的もなく、ただ浮き草のようにぶらぶらしていた私が未来の私にむかって、いろんな事に挑戦できる私になれたのです。あのときの大人の声掛けがなかったなら、今ごろどうなっていたかと思うと、あの時私にいろいろ声を掛けて下さったあのお姉さん達に感謝の思いでいっぱいになるのです。
子供は親の言ったとおりには育ちません。親の姿をまねて育ちます。子供達は人間としての生き方を、親兄弟、教師など身近な人たちから学んでまねて大きくなっていきます。子供達をどうするか?ではなく私達大人の生き方が一人の人間としてまっすぐに生きているか?ゆがんでいないか?修正されるべきは子供ではなく実は大人の方だと私達は気がつかなければなりません。子供達を健全に育成するためには、まず親・教師・地域社会を健全にすることが大事です。問題のすべての根っこはすべてそこにあるからです。
健康な土から健康な野菜や花がすくすくと育つように、子供達のいまから、さあ伸びよう!とする命の根っこを元気で力強いものにするためにも、そして大きくなってそれぞれの花を見事に開花させるようになるまで、私達は今こそ手を取り合って子供達のためにできることから一緒に努力してまいりましょう。

ダウンロード https://docs.google.com/uc?export=download&id=1fNuG75dclZ_TJ5Tc50sAboXT3EEQyrUz
大分類 テキスト
資料コード 008456
内容コード G000000798-0005
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第314号(2003年9月)
ページ 4
年代区分 2000年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 2003/09/10
公開日 2023/12/18