古い時代、半農半漁の集落も馬天港が開かれると人口が増え、海岸近くに街が形成されました。帝国海軍の補給基地として機能し、大東島航路が開かれるころには、国頭東東岸の木材、薪炭などの集積地でした。山原船が数多く往き末し、その賑わいは戦後まで続いていました。
(町勢要覧から抜粋)
馬天港~かつての面影~
かつての馬天港の地形は、平たいU字型の自然の地形をなしていた。六つの部落に囲まれ、密着した好漁場であつた。佐敷の海は、波静かな中城湾の湾奥にあり、三辺が山に囲まれ、前面は中城湾に広がる。
馬天地崎から仲伊保を結ぶ港内は、大潮満潮時には、海岸線においてもかなり水位が高まり、逆に干潮時には港内の約半分位の面積が砂底を現す。
陸地からは数本の川が流れ込み、河口付近、および.海岸近くの干潟は、多少黒味をおびた砂地であり、スーグチ(干潮線)帯は、白砂地帯であった。
馬天港は、東側は知念地先のサンゴ礁からなる岩礁地帯であり、この中間に位置する。海域は、広い砂底の干潟と沖へゆるやかに深まるさらに広い砂底層からなり、絶好の立地条件と豊富な生物相に恵まれた好漁場であった。しかし、明治43年の沖縄県統計書によれば、漁船は22隻、漁民はすべて兼業で、35人とあり、当時の規模としてそれほど大きなものではなかった。
また、波静かな湾内の馬天港は、漁港であるとともに、大東島、国頭方面航路の要衝港であり、台風避難のため数多<の山原船、伝馬船が馬天港によく停泊した。
だが、沖縄戦によって海浜には大きな陥没がた<さんでき、海岸は壊され、艦船、難破船、浮桟橋などの残骸等が散乱した。また、米軍の港湾建設作業が行われたこと、そして、漁民や舟や漁具の全てを戦争で失ったこと、および海域の埋め立て工事(現在の新開区域)が行われたことなどが、漁業に大きな影響を与えた。
地形が変形するとともに、漁場としての質の面でも様相が一変し、佐敷町の漁業も衰退の一途をたどり、かつて最も盛況であった地曳網漁業も姿を消していった。
(佐敷町史 民俗編から抜粋)
お店は繁盛していた
馬天港は、大東島通いの船が出入りして、大いに賑わった。馬天港の近<には王に労働者相手の飲食店、遊びどころ(サカヌヤー)が数件たち、紅燈の巷は、歌三線で賑わった。特に製糖期には県内から集まった労働者達が大勢馬天の港に集まった。ほとんどが臨時雇であったから、製糖期が済めばまた帰ってくる。それをねぎらって栄えたのが 津波古のサカヌヤーで、多いときには7、8軒、30人ほどの女性達が男達の相手をした。
(よりやげの金杜から抜粋)
馬天港の沿革
戦前は、日本海軍の要請で日清、日露戦争の頃は補給基地であった。第二次世界大戦中は、水上機の基地に使われ、また大東島開発当時から大東島定期航路や漁船で賑わいを見せていた。
戦後、スクラップの積み出し、大東島定期航路や漁船で賑わいを見せていた。
昭和32年7月には地方漁港に指定され佐敷村の管理となった。昭和43年、拡張整備計画があったが、スクラップ積み出しや大東島航路が那覇市を中心とした西海岸に移ったために、具体化はされなかった。昭和46年7月琉球政府管理の特定港湾に指定。復帰後県管狸の地方港湾になり、昭和49年4月に現在の重要港湾に指定された。
今日では、中南部圏域の拠点性は失われ、地元の漁業・遊漁業活動の拠点、在籍作業線の基地及び南部地域で産出される石材の出荷施設として利用されている。
馬天港の現状と課題
1.背後市街地での交通公害
馬天地区は、国道から港間に臨港道路が整備されておらず、生活道路である市街地内の町道を使って石材を搬入しているため、交通公害を引き起こしている。
2.周辺市街地における生活環境の悪化
馬天地区は、近隣ずる背後市街地との間に緑地等が整備されていないことから、石材搬出に伴う騒音、振動、粉塵や悪天候時の塩害等が発生し、周辺市街地の住環境が悪化している。
3.漁業振興のための施設整備の遅れ
馬天地区は、佐敷町の漁業活動の拠点としても機能しているが、作業船やその他の遊漁船とが混在し、また係留施設が不足していること等から、漁船と作業船とのトラブルが多い。現在は放置船が長期間、居座っている。
4.港と親しむ施設整備の遅れ
かつて、馬天港は大東航路の基地として港を中心とした活気のある港まちがあったが、現在はこうした役割がなくなり、周辺地域の活力が低下。賑わいは失われている。また他市町村と比較しても海や港に親しめる施設整備が遅れており、作業船や建設資材置き場、廃車置場と化し殺伐とした港となっている。
5.事業展開が不可能な既定計画
港湾計画は、平成2年8月に、港の北側(馬天自錬付近)に公共埠頭、工業用地及び港湾関連用地、船だまり計画等があったが、計画地周辺の土地利用が変化したことや自然環境保全の要請が高まっていること等から整備の見通しがまった<たっていない。
住民のいかり爆発 馬天港早期改修を求める住民大会開かれる
放置車両や漁船と作業船の混在で問題が出ている馬天港の改修を求める住民大会が6月1日、馬天港埠頭で開かれ、漁協、町関係者や周辺住民ら350人余りが参加しました。大会では、佐敷中城漁協の山城健青組含長、津波元徳町長、住民代表が港湾整備を訴えました。
また、沖縄県総合事務局長、沖縄県知事ら宛てに決議を行いました。
台風時はどうすれば…
山入端孝雄さん(字津波古、漁民)
私は、長年佐敷町に住み、この馬天港で漁業を営んできました。そして、馬天港を愛する一人として、以前から馬天港がこのままでいいのかと強い危機感を持っています。現在の馬天港は昔と比べて悲惨な状況にあります。
1点目に、作業船が絶えず港を使用しているため、漁船とのトラブルが日常的に発生しています。主に、港内で作業船のアンカーロープが漁船のスクリューに絡まるトラブルや台船の入港時に、桟橋に隠れて漁船側から台船が見えないために衝突寸前という危険極まりない航行上のトラブルもあります。
2点目に、他の漁港と比べ、漁業の振興や漁船などの小型船に配慮した港の整備が遅れています。
具体的には、台風時には港内が荒れて、漁船等の小型船は波にあおられて、係留ロープが切れたり、転覆事故が起こることもあります。
さらに、馬天港には竸り市場や直売所がないため、県漁連等に水揚げしています。
せっか<魚をとってきても、地域の皆さんに新鮮な魚を売ることすらできないのです。
私たち漁民が安心して、かつ効率よ<使用でき、漁業の将来展望が開けるような港の整備を求めていくしかありません。
この馬天港において漁船と作業船とのすみわけや地元の漁業振興 の視点に立った改修が一日も早<、実現するよう関係機関に強<要望します。
年に一度の楽しみ
多くの問題を抱える馬天港でも、町民にとって1年に1度の楽しみもあります。それがハーリーです。
航海の安全と大漁を祈願する「さしきハーリー」(主催・佐敷中城漁港)が6月8日馬天港で開かれました。
あいにくの小雨まじりの中、佐敷・中城・北中城の漁協の船が御願バーリーを行いました。その後職域ハーリーが行われ、25隻のハーリーが海面を力走、訪れた町民から声援を受けていました。
熱戦の結果、「平和圧送」が優勝しました。2位は沖縄シャーリング国吉チーム、3位は平田酒店ハーリークラブの順となっています。
ダウンロード | https://docs.google.com/uc?export=download&id=1sBM8Kd3EmTDKAfMvdnYIi7mhI60Ki7td |
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大分類 | テキスト |
資料コード | 008456 |
内容コード | G000000796-0003 |
資料群 | 旧佐敷町(佐敷村)広報 |
資料グループ | 広報さしき 第312号(2003年7月) |
ページ | 2-5 |
年代区分 | 2000年代 |
キーワード | 広報 |
場所 | 佐敷 |
発行年月日 | 2003/07/10 |
公開日 | 2023/12/18 |