なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

今年は午年

人と馬との長いつきあい
「馬には乗ってみろ、人には添うてみろ」「馬の背をわける」「生馬の目を抜く」……。馬に関する慣用句やや諺は数知れません。馬がいかに人と深くかかわってきたかがうかがわれます。
馬が最初に家畜化されたのは、今から五千年ほど前の中央アジアでのこと。以来、人や荷を運んだり、物をひっぱったり、農耕を助けたり、戦場で働いたりと、さまざまな場面で大きな役割を果たしてきました。
その国や地域に大昔からいる馬を「在来馬」と呼びますが、日本では現在、北海道、長野、宮崎、沖縄などに計八種類がいます。これらの馬の祖先が、いつごろ、どういうルートで日本列島に渡ってきたのかは、まだはっきり分かっていません。しかし、縄文・弥生時代には、役割ははっきりしないながら、馬がすでに家畜のように利用されていたようです。
古墳時代の遺跡からは馬の埴輪も出土しています。
馬は、古典にもしばしば登場します。最古の歌集といわれる「万葉集」には、馬を詠んだ歌が八十首近くあり、馬が貴重であったことが読みとれます。たとえば、柿本人麻呂の歌。

山科の木幡の山を馬はあれど
歩ゆ吾が来し汝を念ひかね

「私には馬があるが、あなたを思う心に耐えかねて、山科の木幡の山道を歩いてきたのです」という恋歌です。人麻呂のように宮廷仕えする階級の人が馬を所有できたことが分かります。

「走る芸術」「馬の耳に念仏」
馬と聞くと真っ先に競馬を連想される方も多いと思います。馬同士を走り競わせる行事は、走馬、競馬などといって、奈良時代から行われていました。特に端午の節旬(五月五日)の競馬は恒例で、ときの天皇が臨観したとの記録が残っています。
現代では、競馬といえばサラブレッド。より速く走るようにと、品種改良を重ねてつくりあげられた馬です。広い胸幅、よく発達した後躯、四百キロを超す体を支える細い脚。たてがみをなびかせて走る姿は、「走る芸術品」といわれるだけあって、ほれぼれとする美しさです。
一方で「馬の耳に念仏」「馬耳東風」と、無反応、役立たずの代表のようにいわれる馬の耳。私たちが何気なく使ってしまう諺ですが、これは誤解と考えてよさそうです。
馬の耳は、前方にある物の距離を測るなど、優れた機能をもっています。「馬の耳に念仏」は、悠然とした馬の姿から連想されたものなのでしょうが、馬にとっては迷惑な話ですね。
馬は、人間の願いごとにも関係があります。そう、絵馬です。その昔、神に祈願してかなえられたとき、神馬とするように馬を献納しました。
しかし、貧しい民は馬を納めることができないので、代わりに馬の絵を描いたり、馬の形に作った木片を献じたりしました。それが絵馬の始まりだといわれています。
午年の今年もまた、神社にはたくさんの絵馬が献納されることでしょう。一年を健康に、無事に過ごせますように、そして世界に平和が訪れますようにと、心から願わずにはいられません。

ダウンロード https://docs.google.com/uc?export=download&id=1ni73KZW8UTxYs2EYUQ2eWGLo2jSN31Bf
大分類 テキスト
資料コード 008454
内容コード G000000770-0002
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第294号(2002年1月)
ページ 4
年代区分 2000年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 2002/01/10
公開日 2023/12/15