幼児虐待について
佐敷中三年 仲間朝陽
あなたは今、自分の親に愛されているという実感がありますか。
私はつい最近まで、親は我が子を愛し育て、子どもはその愛情をいっぱいに受けて成長していくということが、ごく当たり前のことだと思っていました。
でも、幼児虐待という恐ろしい事件がテレビや新聞などでひんぱんに報道されるようになってから、私は、その当たり前のことが実はそうではなかったことに気づかされました。全国の児童相談所が受け付けた虐待の相談件数は統計を取り始めた十年前と比べ、17倍にも増えているそうです。虐待する親は自分が産んだ子どもがかわいくないのでしょうか。とても不思議に思います。
こんな幼児虐待の事件の中で、親が子どもを虐待する理由はだいたい決まっています。「子育てに疲れた」とか「うるさいから」という理由です。そんなことは全然理由になっていません。誰だって「子育て」は疲れます。「うるさい」というのも、誰でも分かることです。なのにどうして虐待する親たちにはこんな当たり前のことが分からないのでしょうか。十か月もお腹の中で育てたかわいい我が子であるはずなのに…。どうして、こんな恐ろしいことをするのでしようか。
子どもは虐待されるために生まれてくるのではないはすです。私たちは、幸せになるためにこの世に生まれてきます。それは、どの子だって一緒のはすです。その幸せを親が奪ってしまうなんて、何を考えているのか全く理解できません。これから幸せをつかむはずの我が子の希望にみちた明日を閉ざしてしまうのが、実の両親だなんて…。
子どもは親を選んで生まれてくることはできません。幸せになれるかなれないかは、親次第だと思います。親は、自分の産んだ子どもを責任をもって育てる義務があります。子どもは愛情を持って育てられる権利があります。私は生まれて23日目の晩に高熱をだしてしまいました。母の話によると、熱は四十度までに上がり病院へ行きましたが、あまりにも小さすぎるため、薬を与えてもらえず二日間すっと熱が下がらなかったそうです。それでも母はあきらめず、私の看病をしてくれたのです。抱っこしたまま夜を過ごし、薬なしでも熱が下がるよう、冷やし続けてくれました。
この話を聞いて私は、母の愛情を改めて実感しました。こんな母の優しさがあったからこそ、心身ともに健康に育ち、未来を夢見る自分があるのだと思います。
それに比べて虐待を受けて育った子どもは、一体、どんなふうに成長していくのでしょう。だいたい予想がつきませんか。愛情を持って育てられなかったら、人に対する信頼も愛情も生まれてこないのではないでしょうか。そして、自分がされたように、自分の子にも虐待を繰り返し、そういう事が永遠に繰り返されていく気がしてなりません。そしたら日本は、一体どうなっていくのでしょう。それを考えると、とても恐ろしくなります。そうならないためにも、親はちゃんと子育てのことも考えてから子どもを産んで欲しいと思います。
「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように、泣くことでしか自分の思いを表現できない赤ちゃんこそ、大人たちの愛情いっぱい、優しさあふれる環境の中で育てていかなければならないのだと思います。
今、中学生である私もいつかは大人になり結婚もします。その時は、自分の子どもを責任を持って愛情を持って育てられる大人になっていたい―。そう強く決意しています。
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大分類 | テキスト |
資料コード | 008454 |
内容コード | G000000769-0004 |
資料群 | 旧佐敷町(佐敷村)広報 |
資料グループ | 広報さしき 第293号(2001年12月) |
ページ | 4 |
年代区分 | 2000年代 |
キーワード | 広報 |
場所 | 佐敷 |
発行年月日 | 2001/12/10 |
公開日 | 2023/12/15 |