なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

少年の主張最優秀賞 人間と言葉

佐敷中二年 我那覇あんり
「私は言葉で人を傷つけたことはない」この質問に、「はい」と答えられる人はとても少ないと思います。それはすごく残念なことなのですが、私も「いいえ」と答えるでしょう。
言葉の乱れは世の乱れといいますが、私もその通りだと思います。
現在、近年までは考えられないような悲しく恐ろしい事件が毎月のように起こっています。そして私たちの言葉も乱れ、普通なら使ってはいけないような言葉を平気で使っている人も多く見られるようになってきました。
「殺す」「死ね」「黙れ」「消えろ」一度は口にしたことのある言葉ではないでしょうか。私も冗談でときどき使ってしまうことがありました。しかしそんな時、国語の授業で「言葉の力」という作品を勉強しました。その中に「言葉というものの本質が、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうから」という文がありました。始め私は、この文の意味が理解できませんでした。しかし、この文の「人間全体の世界」というものが、「それぞれの人間の性格」を表しているのだと知ると、私の言葉に対しての考え方が変わり始めました。さらに道徳の授業を通して、現在の環境をまじめに見ると、これらの言葉は人に対して普通に、ましてや冗談で言ってはいけない言葉だと強く感じました。
言葉とは、自分の思っていること、考えていることを相手に伝える数少ない手段です。また、相手が自分の考えを理解する手段でもあります。そこで「死ね」などと言われてみてください。あなたのその一言で、相手がどれほど傷ついたか分かるでしょうか。私たちが発するその一言で、もしかしたら言葉の暴力「いじめ」に変わるかもしれないのです。なぜなら、言葉は一度出てしまうと取り返すことはできないからです。そんな過ちを犯さない為にも一度考えてみてください。
例えば、グループ対抗で何かの試合を行い、自分がやってしまったミスのせいで必要以上にチームメイトにせめられた時に、「おまえのせいだぞ、もういいよジャマだから消えろ」「おまえみたいなカスとチームやだな」聞いていてどう感じるでしょうか。怒っているから、ついカッとなってしまったという理由で済まされることでしょうか。自分のミスだから仕方ないと片づけられますか。これと似た場面を、私は見たことがあります。この言葉を言われたのは私ではないのに、私がその場から逃げ出したい気持ちになりました。
また、あなたならこんなことを言われたときどう受け取るでしょうか。
言われるとつらい。言われると傷つく。そんなふうに相手のことを思うことができるのなら、人の痛みを理解してあげることができるのなら、きっと私たちは、人を傷つけかねない言葉を普通に使うことなどできなくなるはすです。 しかし、もし言葉で相手を傷つけてしまうことがあったとき、私たちは取り消すことはできなくても、謝り、すまないと思う気持ちを伝えることで、その人も自分も救うことができるのではないでしょうか。言葉は、使う人によって人を傷つける凶器や、その人の人生も変えてしまうものになることもあります。言葉は、その人の気持ちを表に出す私たちの分身のようなものだと思います。私たちは言葉を失った時、例えようのない恐怖におそわれるでしょう。なぜなら、自分の気持ちや、いろいろな思いを伝えられなくなってしまうからです。
言葉は私たち人間に与えられたとても重要なものです。だからこそ知能のある私たち人間は、この言葉をもっと大切なものとして扱い、上手に使っていくことが必要なのです。私たち人間の言葉に対する心がけ次第で世の中をもっと素晴らしいものに変えることができるのではないでしょうか。

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大分類 テキスト
資料コード 008454
内容コード G000000767-0007
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第291号(2001年10月)
ページ 5
年代区分 2000年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 2001/10/10
公開日 2023/12/15