なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

母の日コンクール優秀作品

とっても大好きなお母さん 馬天小4年 宮城華
「あ、転んだの。大丈夫。」お母さん、お母さんはいつも、みんなのことを心配してくれるね。わたしが学校へ行く時も、お母さんは、「けがしないでね。お母さんは、華たちがけがするのが、とってもいやなんだからね。」と言います。私は、いつも、その言葉がとってもうれしいです。だけど、たまにはけんかもするよね。けんかしてしかられた時、わたしは、「お母さんなんか、大きらい。」と、心では思っている時があるよ。でも、「本当は、お母さんのこと、世界中で一番大好きなんだよ。」
わたしが1年生の時、妹の未来を生むために、病院に入院したよね。その間わたしは、お父さんと二人きりで、おふろに入る時、ごはんを食べる時、ねる時は、お母さんがいなくて、とってもさびしかった。だけど、退院した時は、とっても、とってもうれしかったよ。
お母さんは、わたしの頭をなでながら、「華は、1人でよくがんばったね。」と言って、いっぱいだっこもしてくれたし、たくさんあまえさせてもくれたね。
それから、わたしが3年生になっての夏休み、すごく悲しいことがあったね。9月に生まれる予定の赤ちゃんが、8月ころ、急におなかが痛みだし、大あわてで病院に行ったよね。その時、わたしは、心の中で「どうか、無事に元気な赤ちゃんが生まれてきますように。」と、一生けん命いのりましたが、そのいのりもかなわず、赤ちゃんは死産で生まれ、お母さんは、病院のベッドでずっとずっと泣いていたね。わたしも未来も、すごく悲しくて、大きな声で泣いてしまいました。
赤ちゃんは女の子で、美華という名前をつけて、おそうしきも終えましたが、お家に帰ってからも、ずっと泣いていたね。わたしも、すごく悲しかったけど、お母さんのことの方が、もっと心配だったよ。まるで、電気の消えた部屋みたいに暗く、わたしたちは、どうやってお母さんに話しかけたらいいのかわからず、ただ、お母さんのそばにくっついて、いっしょにいるのが、せいいっぱいだったような気がします。
そんなわたしたちの気持ちが、お母さんには分かったのか、2、3日後には、いつもの元気なお母さんにもどってくれたよね。お母さんが明るいと、家族もみんな、とっても明るくなるので、こんなに悲しい事件、もう2度とあってほしくないと思いました。わたしも、お母さんに心配かけないように、いつも元気でいたいと思います。
世界中には、お母さんのいない人たちがたくさんいるみたいだけれど、わたしは、お母さんがいないと、とってもさびしいだろうな。だって、みんなにはいるお母さんが、自分にはいないなんて、考えただけでも、すごくさびしい気持ちになってきます。わたしは、「お母さんは、みんなにいなければならない存在なんだ。」と、思います。
もしも、わたしの身近に、お母さんのいないお友だちがいたら、とってもさびしいと思うので、少しでもさびしくないように、やさしくしてあげたいと思います。
「お母さんの宝は、華と未来とお父さんだよ。」と言うのが、お母さんの口ぐせです。それと同じように、わたしの宝も、お母さんと未来とお父さんです。だから、いつまでも、家族仲よくしていきたいと思っています。
お母さん、これからもずっと元気で、やさしいお母さんでいてね。わたしは、お母さんから生まれてきて、本当に心からよかったと思っているよ。

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大分類 テキスト
資料コード 008453
内容コード G000000747-0016
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第275号(2000年6月)
ページ 11
年代区分 2000年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 2000/06/10
公開日 2023/12/14