老いを見つめ直して今私にできること
字兼久 浦崎千佐江
「うちの父ちゃんよ、廊下からトイレまでウンコをもらしてもう大変だったよ」「夜中にしっこをしたいと言って五回も起こされ睡眠不足で疲れているさー」保健婦として、家庭を巡りながら、そんな声を耳にする度、私の心にずしりと重いものが広がります。休む日もなく毎日介護をしている方々の表には出せないつらい想い、いろんな想いを、私は今一度、真剣に見つめ直していくべきではないかと痛感させられます。
嫁いで間もなく姑が病気になり、それから寝たきり状態が続き、25年間も介護人生を送っているAさん、介護をしている妻が家の中で転び骨折し入院したため、半身麻痺の不自由な体で独り暮らしを余儀なくされてしまったNさん。呆け症状のある夫に浮気をしていると誤解され、暴力をふるわれ困っているKさんなど、老いを取りまく様々なできごとが、私たちのこの町でも起こっています。
「介護保険」などのニュースにも代表されるように、今老人介護の問題が社会的にもクローズアップされています。我が町においても子供の数は減少し、老人の割合が増え二十一世紀の高齢社会に向け、この介護の問題は深刻な現状です。
共働きや核家族が増え、また住宅が狭いなどの問題もあり、家庭における介護の力は以前に比べて低下してきています。そのせいかわが町では、ねたきり状態にある老人は在宅には少なく、老人ホームなどの施設や病院にいる方がだんだん増えてきているのが現状です。
さて、あなたなら、ご飯を食べたり、トイレに行ったり、オフロに入ったりなどの身のまわりのことが自分でできなくなった時、どこでどう過ごしたいと思いますか。
二年前に行った町民の「高齢者介護についての意識調査」の結果では、男性は家庭で妻に介護されたいと答えた人が多く、女性は病院で子供に介護されたいと答えた人が多い結果となました。この結果を女性の立場から考えてみると、住み慣れた家庭で暮らしたいが、夫は介護に関してあてにならないので、病院で時々娘に看てもらいたいということでしょうか。私たちのこれからの老後は本当にこれでよいのでしょうか。
お年寄りの世話をするのは、妻、嫁、娘でればあたりまえのことだという考えは今なお強いです。しかし、今やそれだけでは支えきれなくなっています。あなたのまわりにいる男性は、家事、育児、そして介護に協力してくれていますか。これからは女性の側からその協力を上手に求めていくこと、男性にも介護に関心を持たせ、参加させていくことが必要だと思います。介護といっても難しいことではありません。食事をゆっくり食べさせたり、シーツ交換を手伝ったり、フロ場までいっしょに運んだり、病院へ付き添ったりと何でもよいのです。側にいて看てくれるだけでも介護者の負担は軽くなる のです。
「男子厨房に入るべからず」で育った私の夫は、家事、育児は女がやって当然と結婚前は思っ ていたようです。しかし、共働きをしていると、子供が一人、そしてまた一人と生まれるとそうは言ってはおれません。でも彼は最初何をどう手伝えばいいのかわからない状況でした。おむつの干し方も何度教えてもしわくちゃのまま、料理と言えば卵焼きだけ、赤ちゃんが泣くとお手上げの状態でした。しかし、今では少しずつできるようになってきて、今日なんか、初めてのソーメンチャンプルーが夕食に用意されています。そんな彼に「あなたより先に私が寝たきりの生活になった時、私のおむつを替えたり、体を拭いたりのお世話をしてくれる?」と尋ねると、「先のことだからわからない」と言います。そうです、健康で若いうちは皆彼と同じように、その時になってみないとわからないと答えるのがほとんどです。しかし、今一度、若い頃からこの「老い」の問題を考えていく必要があるのではないでしょうか。人は誰でも歳をとります。いつかはおむつを利用する不自由な時が来ます。夫も子供も家族皆で協力していけるように、普段の生活の中で少しずつ話し合っていくことが大切ではないでしょうか。
6才になる次男は「お母さんがおばあちゃんになるのはイヤだよ。だけど病気になって動けない時は、ぼくがご飯を食べさせてあげるね」と言ってくれます。今でも私が寝こむとまっ先に額に手を当てて、「大丈夫?お母さん。お水持ってくる?お茶わん洗いとお洗たくたたみは、ぼくがお父さんと手伝うから」と言ってくれます。この思いやりの心を幼い頃から育てていけたら、老人や障害をもつ人への思いやりの心もずっと育っていくのではないでしょうか。そしてこの思いやりの心を家庭の中から隣近所、地域へと広げていくことが必要ではないでしょうか。
この思いやりの心は、人間関係を円滑にし、この世の中を住みやすいものにしてくれるとても大切なものだと私は思います。
85歳という高齢で、耳が遠く足の不自由なYさんは、いろんな事情で二人の子供たちとの関係が悪くなり、子供たちに「もう親とは思わない。いっさい面倒は見ない」と言われたそうです。高齢で不自由な体にもかかわらずYさんが独り暮らしを続けていられるのはなぜだと思いますか。それは、保健や福祉のサービスの他に、民生委員をはじめ隣近所、ボランティアの支えがあるからなのです。その方たちは、病院に連れて行ったり、買い物や用事を済ませてくれたり、あまり外出のできないYさんの話し相手になり、心の支えになっているのです。何とすばらしいことでしょう。隣人はいざ知らずとなりがちなこの複雑な現代社会で、これから迎える高齢社会を生き抜いていくためにも国の施策の充実の他に、地域の支え、ゆいまーるがとても必要かつ重要になってくると思います。
「介護疲れを苦に無理心中」、「独居老人が死後一ヶ月経って発見」などのニュースを耳にする度、心が痛みます。このようなことが起こらないようにするためにも、今私にできることを日々努力していきたいと思います。今私にできること、それは保健婦という仕事を通しての健康づくりのお手伝いの他に家族の中で身近にできることを夫も子供もいっしょにやっていくことです。誰しも避けては通れないこの「老い」の問題、皆さんも今自分自身にできることを見つめ直してみませんか。
ダウンロード | https://docs.google.com/uc?export=download&id=1gR1ceI2AqbMcvIMnFCJeMu7JwRgvdxHy |
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大分類 | テキスト |
資料コード | 008450 |
内容コード | G000000703-0010 |
資料群 | 旧佐敷町(佐敷村)広報 |
資料グループ | 広報さしき 第243号(1997年10月) |
ページ | 9 |
年代区分 | 1990年代 |
キーワード | 広報 |
場所 | 佐敷 |
発行年月日 | 1997/10/10 |
公開日 | 2023/12/14 |