なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

少年の主張最優秀賞作品

平和の礎と共に考えたこと
佐敷中学校三年 屋比久夏奈子
6月23日、慰霊の日。私はその日の前日、糸満市にある、平和祈念公園に行きました。52年前、ここ沖縄で、戦争がしかも地上戦が行なわれていたと思うと、胸がいたみました。しかし52年を経た今、まるで何事もなかったかのような暮らしがあります。
私は、52年前、ここ沖縄でどんなことがおきていたのか知るために、平和資料館へ行きました。そこへ入ったとたん、一瞬、時間がとまったような気がしました。
軍人の使った水筒、弁当箱、壕の中での生活で使われていたおちゃわん、砲弾にあたった跡の残る衣服とそれらは私に、心のいたみや、苦しみとして伝わってくるようでした。
戦争で犠牲になった人々の遺品を見ているうちに、はっと目にとまる物がありました。ある女の人から出された1枚のハガキ。
そのハガキのあて先の住所が私の住む、佐敷町になっていました。私はその時、戦争と私の住む佐敷町とが、こんなにも生々しくつながっていたのだと、初めて、戦争を身近にひきよせて感じられました。相手に届くことのなかった1枚のハガキ。その1枚のハガキにこめられた女の人の気持ちを思うと、かわいそうという気持ちと同時に、やりきれない思いでいっぱいでした。更に、戦争中の写真を見てみると、私と同じ年令の少女たちも何人かうつっていました。その少女たちが、軍の看護婦をしたり、また、資料によると、女の人が朝鮮から従軍慰安婦として、心も体もぼろぼろになるまで働かされていたのです。私はなぜ、こんな何の罪のない人たちが、こんな目にあわないといけないのか。という怒りの気持ちでいっぱいでした。戦争にまきこまれて亡くなっていった少女たち、弱い小さな子供たち、戦いを強制されられた国民のことを思うと、それを実施した国が許せませんでした。
更に、証言の部屋で、戦争を体験した人々が書いた体験談を読みました。そこでは、戦争の実態や、戦争中での生活の様子がよくわかりました。そして今、私たちがすごしているこの時間が、どれほど平和に満ちた世界であるか、ということをつきつけられたようでした。私は、戦争を二度とやってはいけない、させない、してほしくないと強く思いました。むしろ、戦争をおこさないことは、私たちの使命であるとさえ強く感じさせられました。
戦争で犠牲になった私の祖父母の家族の名前をさがしに、平和の礎へ向かいました。
その名前をみつけると、私は思わず、手でなぞりました。なぞっている途中、戦争中の様子や、人々のさけびが聞こえてくるようでした。
戦争。それは、軍人だけでなく、普通の一般の多くの人たちが、一部の人の大きなまちがいによって、大きく傷つくこと。そこには、何の弁解もないような気がします。私たちの役割は、過去を学び、平和を保っていかなければいけないことだと思います。
じゃあ、平和って何だろう。具体的にどうすればいいんだろう。私自身は一体、何をすればいいんだろう。こうした疑問につきうごかされて、私は、平和体験学習に参加したり、祖父母の話を聞いたりして、私の身近にできる事から始めることにしました。
私にとっての平和は、今こうして自由に生活していること。希望をもって生きられる明るい未来があるということ。大切な家族との豊かな時間があるということ。
私は二度と戦争をくり返さないで、平和を保っていきたいと思います。十代という若さで死んでいった少女たち、心や体に大きな傷をせおっている人たち、戦争で犠牲になった人たちのためにも。

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大分類 テキスト
資料コード 008450
内容コード G000000702-0006
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第242号(1997年9月)
ページ 7
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1997/09/10
公開日 2023/12/14