なんじょうデジタルアーカイブ Nanjo Digital Archives

青年失業者のドゥーチュイムニー

青年失業家 町青年会長  津波信一
1月24日AM7時55分、男性長寿日本一を5年間守りつづけていた、渡名喜元完さん、愛称「ぐわんぐわんタンメー」が死去された。「淋しい」「ショック」うんぬんでなく、心から 「お疲れ様でした」「ありがとうございました」と言いたい。ぐわんぐわんタンメーは佐敷町民に、沖縄県民に、日本国民に、そして津波信一という一人の男に大きな夢を見せてくれなおかつ夢を残してくれた。
昨年の11月3日、佐敷町民で「ぐわんぐわんタンメーちゃーがんじゅう」という歌と芝居と舞踊の総合劇、手作りの舞台を創りあげた。何にしてもそうだが大切な人や大切な宝は亡くしてからあるいは失くしてから気付くものである。目の前にいる人、物程感謝の念がうすくなるものである。
「男はつらいよ」 で国民的スターであった渥美溝さんも亡くしてから、国民栄誉賞を与えたって後の祭だと個人的に思う。
僕はそこに深い意味をもちたい。佐敷町民はタンメーの生前にタンメーの総合劇を創りあげた。これから佐敷という素敵なフィールドで生活していく僕、そして町民の誇りである。タンメーは一人 の人間の生涯をもって佐敷町民をまとめてくれた。タンメーの生き方に共感した町民は数え切れない。時には 「わがまま」 「頑固」 などと言われてたようだがタンメーは渡名喜元完という一人の人間を完ぺきに見事に人生という波乱に満ちた舞台で演じきった。心から拍手を送りたい。どんな演出家も観客も役者も評論家も最大級の拍手を送り最大級の敬愛を込め握手を求めるだろう。タンメーは佐敷町にそして津波信一という若造に一本の筋を通してくれた。劇を創っていく上での汗、涙を共に分かちあう喜びを苦しさをおしえてくれた。そこから信頼関係が生まれ異世代交流が生まれた。そういう気持ちが込められた舞台は演技がどうであれ人間の心に残るものであり、人間の心は忘れないものであると、信じてる。
シュガホールでの光景である。102才のタンメーが主役である。観客には一才の子供もニ才の子もいた。下と上が一本、筋が通ったのである。何事もそうだが下と上があって真ん中があるのである。右と左があって真ん中があるのである。上下左右対称になった線をつなげてみると十という形になる。少しでもかたよると十という形にはならない。改めて感じた。人間はお互い認めあい、助けあい十志向だと。………ぐわんぐわんタンメーは舞台を降りた。
今頃楽屋で、タバコでもふかしながら好きなさんぴん茶を飲み、自分の舞台を思い起こしてることだろう。次の舞台を演じているのはドウチュイムニーしている青年失業家のこの僕であり、このつたない文を目にしているあなたである。タンメーを思い出す度、自分の心にできた一本の線を強く大きく太くなぞりかえしている今日この頃である。

ダウンロード https://docs.google.com/uc?export=download&id=1NmBWJWBo2owSCyYB_SjJ51xI5kWCIUwl
大分類 テキスト
資料コード 008449
内容コード G000000692-0007
資料群 旧佐敷町(佐敷村)広報
資料グループ 広報さしき 第236号(1997年3月)
ページ 5
年代区分 1990年代
キーワード 広報
場所 佐敷
発行年月日 1997/03/10
公開日 2023/12/13