滞在中、訪問先への送迎・案内を町人会の役員が交代で引受けてくれた。彼らは気さくに、自分たちの家族のことを話す。
昔の人は子沢山と言われるが、移民地で10人以上の子どもが生まれたと聞くと、やっぱり驚かずにはいられない。役員のひとり、新里出身の上運天先定さん(67歳)は、13男3女の15人きょうだいで、上から7番目の五男だという。
オアフ島の西にカウアイ島という島がある。ホノルルから飛行機で30分ほど。かつては佐敷町人も多かったそうで、先定さんもこの島で生まれた。二男兄の先助さん(74歳)が、島に残って歯科医をしているというので、私たちは先定さん夫婦とともにカウアイ島に飛んだ。
兄弟の父・上運天先夫は1897年生(明30)。16歳で渡航し、5年後に与那原町の当添から瀬底カマを呼寄せる。ピクチャーブライド (写真花嫁) であったという。
母が長男を産んだのは1919年。その長男は3歳で死亡したが、間もなく二男先助が生まれ、あと次々に兄弟が生まれた。お産はほとんどサトウキビ耕地内の自宅で、最後の15人目の末弟の時は大事をとって、病院での出産となった、弟にはその時の医師の名前がついている。
父先夫は耕地での仕事に加え、土地を借りて野菜作りもやった。母カマも朝早くから豆腐を作り、耕地の日本人に売った。兄弟たちはといえば、休日ともなると、キビ畑の外枠に使う木材作りのアルバイトなどをし、家計を助けた。
先助さんは戦後、働きながらシカゴ大学で学び歯科医の道へ。先定さんも同様に、働きながら電気技師の免許をとった。
1950年、両親はアメリカの市民権をとった。子どもたちがみなアメリカで、もう帰国することもないから、ということだったらしい。敗戦後の日本のことを気にしていたのか、新聞を読んでは 「泣きそうだった」 母の顔を、先定さんは今でも思い出すという。
両親は、カウアイ島カラヘオの日本人墓地に眠っている。
※ 表紙の写真は、ハワイ在住のジョージ新垣氏より寄贈されたもの。
(町史担当 新垣安子)